長髄彦は、本当に大和で死んだのか ― 東北に残るアラハバキの記憶
長髄彦は、本当に大和で死んだのでしょうか。
『日本書紀』では、長髄彦は饒速日尊に討たれたことになっています。
でも、それは本当に事実だったのか。
私はそう考えていません。
東北には、長髄彦の面白い伝説が残っています。
津軽に伝わる話では、長髄彦や安日彦が大和を離れ、北へ向かったとされています。
後世にまとめられた『東日流外三郡誌』にも、二人が津軽へ来たという話が登場します。
この文書自体についても信憑性をめぐって大きな議論があります。
けれど、東北にこういう伝承が残っていること自体は事実ですし、面白いところです。
そして東北には、もう一つ不思議な存在があります。
アラハバキ。
荒脛巾、荒覇吐など、いろいろな字が当てられる正体のはっきりしない神です。
東北から関東を中心に各地で祀られ、後から来た神々の陰で「客人神」のような形に
なったとも考えられています。
ここで気になるのが、
長髄彦の「髄(すね)」。
そして荒脛巾の「脛(はぎ)」。
もちろん、文字が似ているから同じだとは言えません。
ただ、大和で神武に抵抗した長髄彦の記憶と、東北に残ったアラハバキ信仰。
もし長髄彦たちが本当に北へ移ったのなら。
彼らは「敗れて逃げた人」だったのでしょうか。
私は、違うと思います。
国譲りのように争いが嫌になり、新しい土地へ行き、そこでも暮らし、人とつながり、
自分たちの文化や技術や神を残した。
そう考えると、長髄彦の物語は大和で終わったのではなく、場所を変えて続いていった
と言えます。
記録から名前が消えても事実だとは限らず、地方に残っている資料や伝承にこそ
真実が隠されているのだと思います。
歴史を探訪する時、権力者側が残した資料だけではなく、土地に残った名前や神さまや伝承を
調べてみる。
そこには、真実に近い物語が眠っていることが多々あります。