レオナルド・ダ・ヴィンチさま|美しいものと、機能するもの
レオナルド・ダ・ヴィンチには、不思議なところがあります。
『モナ・リザ』や『最後の晩餐』を描いた人が、歯車や機械の構造を考えている。
人体の美しい姿を描いた人が、皮膚の下にある筋肉や骨まで調べている。
芸術家とエンジニア。
現代なら、かなり離れた仕事に見えます。
でもダ・ヴィンチの中では、本当に別々だったのでしょうか。
美しく描くために、仕組みを知る
人間の腕を美しく描きたい。
形だけを見て描くこともできます。
でもダ・ヴィンチは、その中まで見ました。
骨がある。
筋肉がある。
関節がある。
それらが動くことで、皮膚の表面の形も変わる。
つまり、外に見えている美しい形には理由があります。
中の構造を理解すれば、表面もより正確に描ける。
ここでは芸術と科学が分かれていません。
美しく描こうとしたら、仕組みを知る必要があった。
その結果、解剖学へ入っていく。
普通なら別の世界に見える二つが、一つの目的の中でつながっています。
機械にも形がある
反対に、機械を考えてみます。
機械は動けばいい。
機能すればいい。
そう考えることもできます。
でも実際には、良くできた機械を見ると美しいと感じることがあります。
余計なものがない。
力の流れが自然。
部品の配置に無理がない。
必要なものが必要な場所にある。
これは飾りの美しさとは少し違います。
機能を突き詰めた結果として生まれる美しさです。
ダ・ヴィンチが描いた機械のスケッチを見ていると、技術図なのに眺めていたくなるものがあります。
考え方と形が一緒になっているからかもしれません。
美しさと機能は敵ではない
ものづくりでは、
デザインを優先するのか。
機能を優先するのか。
そんな話になることがあります。
もちろん両立しない場合もあります。
でも、本当に良いものは必ずどちらかを犠牲にしなければならないのでしょうか。
持ちやすい形が美しい。
無駄のない構造が美しい。
動きが自然だから美しい。
材料の特性に合った形だから美しい。
機能から生まれた形には、そのものなりの美しさがあります。
逆に、美しい形を追いかけたことから新しい構造が生まれることもあります。
どちらが先でもいいのかもしれません。
図面にも美しさがある
きれいに整理された図面を見ると、私は美しいと思うことがあります。
寸法が分かりやすい。
必要な情報が整理されている。
形の意図が伝わる。
無駄がない。
図面は作品として飾るためにつくるものではありません。
製品をつくるための情報です。
それでも、よく考えられた図面には美しさがあります。
おそらくそれは、見た目を飾った美しさではありません。
考えが整理されている美しさ。
ダ・ヴィンチが絵と機械図を同じように描いていたことを見ていると、芸術と技術の境界線が少し曖昧になってきます。
つくることは、両方を使う
ものづくりには計算があります。
寸法があります。
材料があります。
機械があります。
でも、それだけではありません。
どんな形にするか。
どこに線を置くか。
どうすれば使いやすいか。
人が見たとき、どう感じるか。
最後には人間の感覚も入ります。
科学だけでもない。
芸術だけでもない。
理屈と感覚の両方を使って、形を決めていく。
ダ・ヴィンチが500年以上前にやっていたことを見ていると、ものづくりそのものが、もともとそういう仕事だったのではないかと思えてきます。
株式会社アリスでも、機能することはもちろん大切です。
でも、形、使いやすさ、仕上がりまで含めて製品になります。
美しいものをつくる。
機能するものをつくる。
その二つは、最初から別々ではないのかもしれません。