レオナルド・ダ・ヴィンチさま|なぜ、完成させなかったのか?
レオナルド・ダ・ヴィンチについて調べていると、不思議なことがあります。
これほど多くのことを考えた人なのに、完成しなかった仕事がかなりあります。
絵画にも未完成の作品があります。
巨大な騎馬像の計画も完成しませんでした。
研究や発明の多くも、手稿の中に残ったままです。
「万能の天才」という言葉から想像する姿とは、少し違います。
何でもできた人なら、なぜ最後までやらなかったのでしょう。
次の疑問が出てくる
一つ考えられるのは、ダ・ヴィンチの好奇心です。
何かを調べる。
すると、新しい疑問が出てくる。
その疑問を調べているうちに、別の世界へ入っていく。
絵を描いていたはずなのに人体へ行く。人体を調べていたら動きや構造へ行く。
鳥を見ていたら飛行へ行く。水を見ていたら流れや土木へ行く。
一つのことを終わらせてから次へ進むというより、考えている途中から枝が伸びていく。
頭の中に大きな木があって、次々に新しい枝が生えていくようです。
これは強みですが、完成させるという意味では困った性質だったのかもしれません。
もっと良くできる
もう一つ気になるのが、ダ・ヴィンチが作品を何度も修正していたことです。
一度描いたら終わりではない。
もっと自然にできないか。
もっと正確にできないか。
光はどう見える。
人体はどうなっている。
新しく知ったことがあれば、それを作品にも戻していく。
そうすると「完成」は難しくなります。
昨日より今日の方が分かっている。
今日より明日の方が、もっと分かるかもしれない。
それなら、
いつ完成にすればいいのでしょう。
完璧を求めると、完成しない
これは少し耳が痛い話でもあります。
良いものをつくりたい。
もっと考えたい。
もう少し直せる。
まだ改善できる。
それ自体は悪いことではありません。
でも「これ以上直すところがない状態」を完成とするなら、完成する日は
永遠に来ないかもしれません。
人は学びます。
技術も変わります。
新しい材料も出ます。
新しい考えも出てきます。
今日の完璧は、来年には完璧ではなくなります。
そう考えると、完璧と完成は別のものなのかもしれません。
仕事には区切りが必要
研究なら、興味の続く限り考えることができます。
でも仕事には納期があります。
お客様が使う日があります。
製品として渡さなければいけません。
だから、
「もっと良くできる」
と思っていても、どこかで区切る必要があります。
これは妥協とは少し違います。
その時点で持っている知識、技術、時間、費用の中で、できる限り良いものをつくる。
そして完成させる。
もし次にもっと良い方法が見つかれば、そのときまた変えればいい。
未完成から学べること
ダ・ヴィンチが完成させなかったものを見て、
「だから駄目だった」
とは思いません。
完成しなかったからこそ、彼が何を考えていたのかが手稿に残っているものもあります。
ただ、私たちはダ・ヴィンチではありません。
研究だけをして生きているわけでもありません。
仕事では完成させる責任があります。
だからダ・ヴィンチから学ぶなら、
何でも真似する必要はないと思います。
徹底的に観察する。
疑問を持つ。
考える。
試す。
もっと良くしようとする。
そこは学ぶ。
でも最後には、
その時点での答えを出す。
そして次に新しいことを学んだら、また変える。
私は、そのくらいがちょうどいいと思っています。
株式会社アリスでも、できる限り良いものを目指します。
でも、それを永遠に変わらない完成形だとは考えていません。
今できることに本気で向き合って完成させる。
そして学んだら、また進化する。
ものづくりは、その繰り返しなのだと思います。