仏教伝来の謎|なぜ海を越えてきた新しい信仰が、古代日本の政治とものづくりを変えたのか【6】
11. 飛鳥大仏の謎|巨大な金銅仏はどのように作られたのか
飛鳥寺には、現在も「飛鳥大仏」と呼ばれる仏像が安置されています。
正式には銅造釈迦如来坐像と呼ばれる仏像です。
像の高さは約2.75メートル。
大きな銅製の仏像で、609年に完成したと考えられています。
製作した人物は、鞍作止利(くらつくりのとり)、一般に止利仏師と呼ばれる人物とされています。
ただし、飛鳥大仏は後の時代に火災によって大きな損傷を受け、修復が重ねられています。
そのため、現在の像のすべてが創建当初の姿というわけではありません。
当初の部分がどこまで残っているのかについても、調査や研究が行われてきました。
では、6世紀末から7世紀初めの日本列島で、これほど大きな金属製の仏像を、どのように作ることができたのでしょうか。
銅製の仏像を作るためには、金属を加工する技術が必要です。
仏像の形を作り、鋳型を製作し、溶かした金属を流し込み、冷却後に仕上げる。
大きな像であれば、製作工程はさらに複雑になります。
金属を溶かすための熱源。
鋳型の材料。
溶けた金属を扱う設備。
鋳造後の仕上げに使う道具。
そして、それぞれの工程を担当する人々の経験。
こうした条件を整えなければ、大きな金属製品を完成させることはできません。
特に難しいのは、完成した形を正確に予測しながら製作を進めることです。
金属は、冷える過程で収縮します。
鋳型への金属の流れ方によっては、内部に空洞や欠陥が生じることもあります。
また、鋳型が破損すれば、製品そのものが完成しない可能性があります。
現在でも、大型の鋳造品を製作する際には、材料の性質や温度、金属の流れ、冷却の状態などを考える必要があります。
当時の職人たちは、現代のような測定機器や解析技術を持っていたわけではありません。
それでも、大きな金属製品を作り上げていました。
その背景には、経験の積み重ねによって培われた技術が存在していたはずです。
ただし、飛鳥大仏の当初の鋳造工程のすべてが明らかになっているわけではありません。
どのような分割や鋳型の構造を用いたのか、どのような工程で仕上げたのかについては、現存する部分や史料をもとに慎重に考える必要があります。
ここで重要なのは、飛鳥大仏が一人の技術者だけの力で完成したとは考えにくいことです。
鞍作止利という人物が製作の中心にいたとしても、材料の準備から鋳造、仕上げ、運搬、設置まで、多くの人々が関わっていた可能性があります。
そして、飛鳥大仏の完成は、日本列島における金属加工技術の発展を考えるうえでも重要な出来事でした。
12. 鞍作止利という技術者|馬具を作る技術と仏像製作はつながっていたのか
飛鳥大仏の製作に関わったとされる鞍作止利は、古代日本のものづくりを考えるうえで、非常に興味深い人物です。
鞍作という名前からも分かるように、その一族は馬具の製作に関係する技術者集団とつながっていたと考えられています。
鞍とは、馬に乗るために使用する道具です。
古墳時代には、朝鮮半島との交流を通じて馬や馬具に関係する文化が広がっていました。
馬具には、木材や革、鉄、銅、金銅など、さまざまな材料が使用されます。
その製作には、材料の加工や部品の組み合わせ、装飾など、複数の技術が必要です。
鞍作止利の一族については、渡来系の技術者集団との関係が指摘されています。
また、止利の祖父にあたると伝えられる司馬達等、その子の多須奈など、仏教や造仏に関係する人物の名前が史料に残されています。
ただし、一族の系譜や技術の継承について、すべてを確実に復元できるわけではありません。
それでも、馬具の製作に関係する技術者集団が、仏像製作に関わるようになった可能性は、ものづくりの歴史として非常に興味深いものです。
なぜなら、技術は一つの製品を作るためだけに存在するものではないからです。
金属を加工する技術は、武器や馬具、装身具、仏像など、異なる用途に応用することができます。
もちろん、馬具の製作と巨大な仏像の鋳造では、必要な技術がすべて同じというわけではありません。
製品の大きさも異なり、要求される形状や仕上がりも違います。
しかし、金属の性質を知り、道具を扱い、製作工程を考える経験が、新しい仕事へつながることは十分に考えられます。
既に持っている技術を、別の分野へ応用する。
新しい仕事に必要な知識を学ぶ。
経験したことのない製品に挑戦し、製作方法を考える。
そうした過程によって、技術者の仕事は広がっていきます。
鞍作止利という人物を考えるとき、単に有名な仏像を作った仏師としてだけでなく、異なる技術を結びつけ、新しい分野のものづくりに関わった技術者として見ることもできるのではないでしょうか。
ただし、鞍作止利自身が具体的にどのような工程を担当し、どの程度の作業を直接行ったのかについては、明らかになっていません。
彼が技術者集団を率いる立場だった可能性もあります。
また、製作に関わる技術的な判断を行いながら、複数の職人たちと仕事を進めていた可能性も考えられます。
いずれにしても、飛鳥大仏の製作は、それまでの金属加工技術が新しい用途へ広がっていく過程を考える重要な手がかりになります。