負けた神を祀ることは、静かな抵抗だったのか
2014.08.05
政治的には負けた。
それでも、その人物や神を祀り続ける。
これは何を意味するのでしょう。
単なる宗教的習慣だったのかもしれません。
でも私は、もう少し人間らしく考えたくなります。
自分たちの祖先が大切にしてきた人を忘れたくない。
新しい支配者には従う。
税も納める。
制度も受け入れる。
でも、この祭りだけは続ける。
この墓だけは守る。
この神だけは祀る。
それは武器を持った抵抗ではありません。
でも記憶を渡さないという、小さな抵抗だった可能性もあります。
政治は変えられる。
法律も変えられる。
名前も変えられる。
でも一軒の家の中で語られる昔話まで、完全に管理することは難しい。
村の奥にある小さな祠まで、すべて消すことも難しい。
だから敗れた側の記憶は、表舞台から消えても地下水のように残ります。
何百年も経ってから、それが伝承として地上へ出てくる。
そう考えると、古い神社や塚に残る名前には、ただの昔話ではない重さがあります。
政治的には負けても、記憶までは明け渡さなかった。
そんな人たちがいたのかもしれません。
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