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楠木一族と南北朝合一。五十六年の争いは、本当に終わったのか【3】

2015.04.23

南北朝が一つになっても、約束はすべて守られなかった

1392年、後亀山天皇は吉野を離れ、京都へ向かいました。

そして、三種の神器が北朝の後小松天皇へ引き渡され、南北朝合一が実現します。

長年にわたって二つに分かれていた朝廷が、一つになったのです。

しかし、その後、皇位が南朝と北朝の系統によって交代で継承されることはありませんでした。

皇位は北朝の系統に受け継がれていきます。

和約で示された条件のうち、少なくとも皇位継承に関する約束は、結果として実現しなかったのです。

ここには、考えさせられるものがあります。

南朝側は、何を信じて和睦に応じたのでしょうか。

戦いを終わらせ、一定の条件のもとで皇位継承の道が残されることを期待していたのでしょうか。

一方、北朝や室町幕府の側では、その条件をどのように考えていたのでしょう。

最初から実現する意思がなかったのか。

それとも、政治情勢の変化によって、約束が守られなくなったのでしょうか。

その意図を一つに決めることは簡単ではありません。

また、所領に関する条件についても、すべてが最初から無視されたと一括りにすることはできません。

少なくとも一定期間は南朝側の権益が認められていた可能性も研究されています。

それでも、南朝側が期待した皇位継承の仕組みが実現しなかったことは、大きな問題でした。

争いを終わらせるために交わされた約束が守られなければ、人々は何を信頼すればよいのでしょうか。

武力によって争いを終わらせることはできても、互いの信頼まで生まれるとは限りません。

和平とは、戦いをやめた瞬間に完成するものではないのでしょう。

むしろ、その後に約束を守り、異なる立場の人々が安心して暮らせる関係を築いていくことが、本当の意味での和平につながるのではないでしょうか。

南朝を支えてきた武士たちは、どうなったのか

南北朝合一という出来事は、歴史の教科書では一つの区切りとして紹介されます。

しかし、それまで南朝を支えてきた武士たちにとっては、簡単な話ではなかったでしょう。

長年仕えてきた朝廷が、政治的に独立した存在ではなくなります。

それまで敵だった室町幕府の支配を受け入れることになる人々もいました。

では、彼らが戦ってきた年月には、どのような意味が残ったのでしょうか。

命を落とした家族は戻りません。

失われた土地が、すべて返ってくるわけでもありません。

一族の名誉や、それまで築いてきた人間関係も、すぐに元どおりになるとは限りません。

和平が成立したからといって、全員が同じように喜べたわけではなかったでしょう。

一方で、長年続いた戦争が終わることを望んでいた人々もいたはずです。

もう戦場へ行かなくてもよい。

家族が無事に帰ってくるかもしれない。

田畑を耕し、仕事を続け、安心して暮らせるようになるかもしれない。

そうした希望もあったでしょう。

同じ南北朝合一という出来事であっても、立場によって受け止め方は違っていたのではないでしょうか。

戦いを続けてきた武士。

その家族。

土地を耕す農民。

物資を運ぶ商人。

寺社を支える人々。

それぞれに守りたいものがあり、争いが終わった後の生活がありました。

政治の中心で決まったことが、すぐに人々の暮らしを変えるとは限りません。

そこには、もう一つの長い時間が必要だったのだと思います。

楠木一族の戦いは、そこで終わったのか

楠木正成が千早城で戦ったのは1333年。

その約60年後、南北朝合一が実現しました。

この間に、正成、正行、正儀と、楠木一族の中心となる人物は移り変わっていきました。

そして、その後の世代にも、楠木氏の名前は残されています。

正儀の息子とされる正勝は、南朝を支えた武将として伝えられています。

しかし、南北朝合一の後も、南朝の系統を支持する人々の活動は完全になくなったわけではありませんでした。

後南朝と呼ばれる動きが、長く続いていきます。

後南朝に関係する人々の中には、楠木氏の一族とされる人物も現れます。

ただし、後世に残された系図や伝承には検討を必要とする部分があり、すべての血縁関係を確実な史実として扱うことはできません。

それでも、楠木という名前が南北朝合一の後にも語り継がれていったことは興味深いものです。

なぜ、人々はその名前を忘れなかったのでしょうか。

父や祖父が戦った理由を、次の世代も大切にしていたのでしょうか。

それとも、南北朝合一の条件が十分に実現されなかったことに、納得できない思いがあったのでしょうか。

あるいは、自分たちの土地や立場を守るために、南朝の系統を支持し続ける必要があったのでしょうか。

その理由は、人によって違っていたのかもしれません。

大切なのは、南北朝合一という政治的な決定だけで、そこに生きた人々の思いや記憶まで消えたわけではないということです。

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