歴史に埋もれた二人の女性。山吹御前と葵御前が見た木曾義仲の運命【1】
戦場を駆けた巴御前。その傍らには、もう二人、義仲の人生をともにしたと伝えられる女性たちがいた。
木曾義仲という人物を思い浮かべるとき、多くの人が巴御前の姿を重ねるのではないだろうか。
馬を駆り、強弓を引き、大太刀を振るう女武者。
義仲が最後の戦場を迎えたときも、巴御前はその傍らにいたと『平家物語』は伝えている。
しかし、義仲の周囲にいたとされる女性は、巴だけではなかった。
山吹御前(やまぶきごぜん)。
葵御前(あおいごぜん)。
この二人の名前を知る人は、巴御前に比べるとはるかに少ないだろう。
ところが、古い軍記物語を読み比べると、興味深いことが見えてくる。
巴御前と山吹御前が並んで登場する物語がある一方で、巴御前と葵御前が並んで登場する物語もある。
さらに、後世の伝承では、それぞれの生まれた土地や義仲との関係、人生の結末まで語られている。
三人は本当に実在したのだろうか。
もし実在したとすれば、義仲にとってどのような存在だったのだろう。
そして、なぜ巴御前だけが、これほど鮮やかに歴史の中に名前を残したのだろうか。
今回は、木曾義仲を取り巻く女性たちの人生を通して、戦いの勝敗だけでは見えてこない人間の姿を探してみたい。
山吹御前。最後の戦場に行けなかった女性
『平家物語』の「木曾最期」には、巴御前とともに、山吹という女性の名前が登場する。
義仲には巴と山吹という二人の便女がいたが、山吹は病気のため京都に残り、巴だけが最後の戦場まで付き従ったという。
「便女」とは何だったのだろう。
ここで使われる言葉は、現在の私たちが考える女性の職業や身分に、簡単に置き換えられるものではない。
身近に仕える女性、特別な関係にある女性、あるいは武芸に通じた女性など、軍記物語の中での位置づけには解釈の幅がある。
山吹が義仲の妻だったのか、恋人だったのか、あるいは幼い頃からの仲間だったのか。
それを確定できる記録はない。
それでも、物語の中で山吹が義仲の近くにいた女性として描かれていることは興味深い。
特に気になるのは、彼女が最後の戦場に姿を見せなかった理由である。
病気だったという。
たったそれだけの記述で、山吹御前は物語の中心から姿を消してしまう。
しかし、少し考えてみたい。
義仲が都を追われ、味方の軍勢が次々と失われていく中で、病に伏せた女性が京都に取り残されたとすれば、それはどのような状況だったのだろう。
昨日までそばにいた人々が、戦いに向かって去っていく。
自分も行きたいと思っていたのかもしれない。
あるいは、すでに戦いの結末を予感し、残されることを受け入れていたのかもしれない。
しかし、彼女の気持ちを伝える記録はない。
山吹御前が本当に病気で京都に残ったのかどうかも、軍記物語の記述を超えて確認することは難しい。
ただ、この短い描写には、戦いに参加できなかった人間の存在が残されている。
戦場で命を落とした者には、討ち死にの場面が描かれる。
勇敢に戦った者には、その武勇が語り継がれる。
では、病気で戦場に行けなかった人間はどうなるのだろう。
武勇を示したわけでもなく、華々しい最期を迎えたわけでもない。
それでも、その人にも人生があったはずである。
戦いに参加しなかったからといって、義仲の運命と無関係だったわけではない。
むしろ、戦場から遠く離れた場所で、大切な人々の帰りを待つことになったのだとすれば、その時間は別の意味で厳しいものだったかもしれない。