暮らしを良くした人が神になった
人は、どんな人を何百年も覚えているのでしょう。
戦いに勝った人。
大きな権力を持った人。
それだけではないと思います。
自分たちの暮らしを良くしてくれた人も、長く記憶されます。
大神神社の境内には、酒造りに関係する高橋活日命を祀る活日神社があります。
大神神社は、高橋活日命について、崇神天皇に召されて三輪の神に供える酒を造った人物として伝え、現在も杜氏の祖先神として酒造関係者から信仰されていると説明しています。
ここには、とても人間らしい流れがあります。
酒を造った人がいる。
技術が評価される。
後の人たちがその仕事を覚えている。
そして、同じ仕事をする人たちから祖先神として祀られるようになる。
これは、神さまが最初から空の上にいたという話とは少し違います。
仕事をした人の記憶が、神さまへ近づいていく形です。
もちろん、高橋活日命について伝えられている内容を、そのまま当時の出来事として断定することはできません。
ただ、技術を持った人物が後世に神として祀られているという形そのものは残っています。
これをもっと古い時代へ広げて考えると面白くなります。
水を引いた人。
農業を教えた人。
鉄を扱えるようにした人。
病気の時に助けた人。
新しい道を見つけた人。
災害の後に地域を立て直した人。
その人たちのおかげで村が暮らしやすくなれば、亡くなった後も忘れないでしょう。
「あの人のおかげで、この水路がある」
「あの人がこの技術を教えてくれた」
「あの人が村を救ってくれた」
そんな話が子や孫へ伝わる。
さらに何世代もたてば、本人を知る人はいなくなります。
でも、名前と仕事の記憶は残る。
そこへ伝承や祭りが加わり、やがて地域を守る存在として祀られる。
そんな流れがあっても不思議ではありません。
古代の「神になる」ということは、人間をやめて超能力者になることではなく、
その人の仕事や功績を、共同体が忘れずに残すことでもあったのかもしれません。
神社に祀られている人物を見る時、
「この人にはどんな神通力があったのか」
ではなく、
「この人は地域の人に何を残したのか」
と考えてみる。
そこから、古代の神さまの別の姿が見えてくる気がします。