東大阪の研究開発現場から生産現場までの「ものづくり」なら【株式会社アリス】試作サンプル、切削加工、精密部品加工、可視化部品製作、透明化処理、現物からの製作、単品OK

  • トップ
  • ニュース
  • 新田義貞、越前への決断。後醍醐天皇と別れ、二人の皇子を守って北国へ向かった理由【6】

新田義貞、越前への決断。後醍醐天皇と別れ、二人の皇子を守って北国へ向かった理由【6】

2015.06.14

歴史に残る決断と、その先に生きた人々

新田義貞が越前へ向かった理由を、一つの言葉だけで説明することはできません。

後醍醐天皇との関係。

足利尊氏との対立。

新田一族の存続。

二人の皇子を守る責任。

北陸で新たな勢力を築く可能性。

さまざまな事情が重なった中で、義貞は北国へ向かう道を選びました。

その結果、義貞は新しい拠点を得ることができました。

しかし、同時に多くの犠牲を払うことにもなりました。

もし別の道を選んでいれば、違う未来があったのかもしれません。

けれども、実際にどのような選択肢が残されていたのか、私たちはすべてを知っているわけではありません。

後の時代から結果だけを見て、義貞の判断を簡単に正しい、間違っていたと決めることはできないでしょう。

歴史上の人物も、未来を知った上で行動していたわけではありません。

自分が持つ知識や経験、周囲の人々から得られる情報をもとに、その時点で進む道を考えていたのです。

そして、その決断には必ず、共に生きる人々が関わっていました。

義貞に従った弟や息子。

越前で協力した武士たち。

皇子たちを支えた人々。

その一人ひとりに、守りたいものがあったはずです。

新田義貞の越前への決断は、一人の英雄が北国へ逃れたというだけの出来事ではありません。

新しい政治を目指した人々が、敗北の中でも次の可能性を探し、運命を共にしながら歩んだ歴史でもあったのです。

そして、義貞の戦いは、越前の山々と平野を舞台に、さらに続いていきます。

やがて義貞は、藤島という場所で最期を迎えることになります。

しかし、その結末へ至るまでには、まだ語るべき人々と出来事が残されています。

金ヶ崎城で何が起こったのか。

救援を目指した瓜生氏は、どのように戦ったのか。

義貞が再び立ち上がるまでに、どのような人々の力があったのか。

その一つひとつをたどることで、敗北の中でも前へ進もうとした新田義貞の姿が、さらに見えてくるのではないでしょうか。

                 一覧へ戻る
アリスの仕事に対する想いを見る オリジナルサンプル制作