成吉思汗に隠された静御前への返歌|「なすよしもがな」と四文字の謎【2】
漢字は、誰が選んだのか
今回の謎を考えるうえで、最も重要なのが「成吉思汗」という漢字の成立です。
そもそもチンギス・ハンは、モンゴル語の称号です。
その名前を漢字で記録する際、どの文字を選ぶかは、記録する側の言語や表記の習慣に影響されます。
漢字の意味を一文字ずつ重視したというより、モンゴル語の音を写すために選ばれたと考えるのが基本です。
また、時代や文献によって表記の違いもあります。
そのため、1206年にテムジン本人が「成吉思汗」という四文字を自分で選んだという説明には、さらに具体的な裏づけが必要です。
例えば、本人が漢字で称号を書いた文書が存在するのか。
その四文字を選んだ経緯を記す記録があるのか。
当時のモンゴル高原で、その漢字表記がどのように使われていたのか。
そして、後世の漢字音写によって生まれた表記ではないといえるのか。
こうした問題を考えなければなりません。
現時点では、義経本人が静御前への想いを込めて漢字を選んだという記録は確認できていません。
しかし、ここで私たちが考えたいのは、単にその説を採用するか否かではありません。
一つの読み解きが生まれたとき、その根拠をさらに調べていくことです。
「成吉思汗」という四文字は、実際に歴史の中で使われてきました。
静御前の歌も、記録に残されています。
この二つの存在は確かです。
では、その間に本当に人的なつながりがあったのか。
それとも、後世の人々が二つを結びつけ、新しい物語を生み出したのか。
私たちは、その問題を考えていきたいと思います。
偶然の一致なのか、意図された言葉なのか
ここまで考えてくると、私たちは一つの問題にたどり着きます。
四文字の意味が静御前の歌と結びつくことは、偶然だったのでしょうか。
それとも、誰かが意図的にそのような意味を込めたのでしょうか。
漢字には、一つの文字が複数の意味を持つという特徴があります。
さらに、日本語では漢字を音で読んだり、意味で読んだりすることができます。
漢字を分解することもできます。
そのため、四文字の組み合わせから、さまざまな解釈を生み出すことができます。
例えば「汗」という文字を「水」と「干」に分けることはできます。
しかし、その二つを組み合わせた「水干」を静御前の衣装と結びつけるには、静御前の物語を知っている必要があります。
さらに「吉」を吉野山と結びつけるにも、二人の別れの伝説を知っている必要があります。
つまり、この読み解きは、漢字だけを見れば自然に現れるものではありません。
義経と静御前の物語を前提として、文字を解釈しているのです。
それでも、私たちは、この読み解きが単なる偶然として終わらない魅力を持っていると感じます。
なぜなら、静御前の二首の歌と、成吉思汗という四文字が、別れた人への想いという一つの物語に結びつくからです。
そして、その物語を考えることで、これまで軍事的な英雄として語られることの多かった義経の、別の姿が見えてきます。
大陸で強大な勢力を築いた英雄が、かつて愛した女性を忘れずにいた。
このような物語が、人々の心に残った理由も分かるような気がします。
ただし、その物語を実際の歴史として考えるためには、文字の一致を超えた具体的なつながりを探す必要があります。
英雄の称号に、個人の想いは残されるのか
歴史に登場する英雄たちは、大きな出来事によって記憶されます。
どの戦いに勝ったのか。
どの地域を治めたのか。
どのような政治的な組織を築いたのか。
どれほどの人々を動かしたのか。
しかし、その人物にも家族があり、仲間があり、個人的な人生がありました。
義経にも静御前との関係がありました。
そして、静御前には義経とは別の人生もありました。
白拍子としての活動。
母の磯禅師との暮らし。
京都での人々との交流。
義経との出会い。
吉野山での別れ。
鎌倉での舞。
子どもの死。
そして、故郷へ戻ったという伝承。
こうした一つひとつの出来事は、政治や軍事の歴史とは異なる、人々の暮らしの歴史です。
私たちは、歴史の中で有名になった人物を考える際に、その人が何を成し遂げたのかだけではなく、どのような人々と生きていたのかも大切にしたいと思っています。
もし「成吉思汗」という称号に静御前への想いが込められていたならば、それは非常に個人的な記憶を歴史の中に残したことになります。
そして、仮にこの読み解きが後世の人々によって生まれたものだったとしても、そこには人間の想いが残されています。
英雄の偉業だけではなく、愛する人を忘れなかったという物語を、人々が大切にしてきたということです。
義経とチンギス・ハンの伝説を、もう一度考える
これまでの歴史探訪では、義経とチンギス・ハンが同一人物だったという説について、年代や人々の移動、騎馬文化などから考えてきました。
チンギス・ハンには、テムジンとしての幼少期や家族関係が伝えられています。
一方、義経には日本列島での活動が記録されています。
両者の経歴を一つの人生として説明するには、解決しなければならない問題が数多くあります。
そして、今回の「成吉思汗」という四文字にも、まだ分からないことが残されています。
その漢字を誰が選んだのか。
いつから使用されたのか。
静御前の歌との関係は、どの時代に考え出されたのか。
そして、実際に義経と大陸の人々を結びつける具体的な記録が存在するのか。
こうしたことを考える必要があります。
しかし、私たちは、義経とチンギス・ハンの関係を考えるとき、一人の英雄が別の英雄になったのかという問題だけで終わらせたくありません。
私たちがこれまで考えてきたのは、義経一行が大陸の遊牧民・騎馬民族の文化を受け継ぐ運命共同体だったという仮説です。
その人々が、日本列島と大陸の間を移動していたのではないか。
そして、日本列島で政治的な対立に巻き込まれた後、一部の人々が再び北方世界へ戻ったのではないか。
この考えは、義経本人がチンギス・ハンだったかどうかとは別に、考えることができます。
そして、静御前の存在もまた、そのような人々の歴史の中で考えるべきものだと思います。
共同体には、戦う人々だけがいるわけではありません。
家族がいます。
女性や子どもたちがいます。
生活を支える人々がいます。
歌や舞によって、人々の記憶を伝える人々もいます。
静御前は、そのような共同体の中で、自分自身の技術と人生を持っていた女性でした。
だからこそ、今回の返歌説を考えることで、義経の歴史を戦争や政治だけではなく、人々の想いという面から見直すことができると思っています。
四文字の中に残された、もう一つの歴史
「成吉思汗」。
この四文字は、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの漢字表記として知られています。
しかし、そこに静御前の歌を重ねると、別の物語が浮かび上がります。
吉野で別れた人。
白拍子の水干。
過ぎ去った時間を取り戻したいという願い。
そして、その願いに返事をするように残されたと解釈される四文字。
私たちは、この読み解きを、興味深い歴史の考察として大切にしたいと思います。
ただし、成吉思汗という漢字を義経自身が選んだという具体的な記録は確認できません。
静御前が実際にその返歌を受け取ったという記録もありません。
それでも、静御前の歌と成吉思汗の四文字を結びつけた人々がいたことは、歴史の一部です。
そして、その考えが今も語り継がれていることにも意味があります。
歴史には、記録に残された出来事があります。
遺跡や出土品から考えられることがあります。
地域の人々が受け継いできた伝承があります。
さらに、後世の人々が新しい視点から読み解いたものもあります。
私たちは、それらを一つの手がかりとして、歴史を考えていきたいと思っています。
大切なのは、どこまでが確認でき、どこから先に新しい疑問が残るのかを、自分たちで考えることです。
そして、分からないことがあるからといって、そこで考えることをやめないことです。
静御前は「昔を今に なすよしもがな」と歌ったと伝えられています。
その願いは、過ぎ去った時間を取り戻したいという、人間の切実な気持ちだったのでしょう。
もし義経が大陸へ渡っていたならば、その言葉をどのように受け止めたのでしょうか。
もし再び会うことができなかったのならば、どのような想いを残したのでしょうか。
そして、もし「成吉思汗」という四文字に本当に返歌が込められていたのならば。
それは世界史に残る英雄が、遠く離れた一人の女性を忘れずにいたという、もう一つの歴史になるのかもしれません。
「昔を今に なすよしもがな」。
静御前の歌は、長い年月を越えて、今も私たちに届いています。
そして「成吉思汗」という四文字には、その歌と結びつけて考えてみたくなる、不思議な余韻が残されています。
出典・参考資料
1. 『吾妻鏡』巻六・文治二年四月八日条
静御前が鶴岡八幡宮で舞い、義経を慕う二首の歌を披露したと記す史料。
参考:黒板勝美編『新訂増補国史大系 吾妻鏡第一』吉川弘文館、1974年、218頁。
国立国会図書館レファレンス協同データベース(小平市中央図書館、事例番号2019.01.033)でも二首の典拠が確認できる。
2. 高木彬光『成吉思汗の秘密』
光文社、1958年刊。歴史推理小説。
義経とチンギス・ハンの同一人物説を題材に、二人の経歴や関連する伝説を扱った作品。
国立国会図書館で1960年刊のカッパ・ノベルス版、2005年刊の復刻版・文庫版などが確認できる。
3. 仁科東子の「成吉思汗」の漢字解釈に関する紹介
「吉野に成りて、水干を思う」「なすよしもがな」という読み解きについて、田中良一氏が仁科東子の考察として紹介している。
READYFOR活動報告「義経=成吉思汗、同一人物説について(その2)」、2020年9月5日。
※仁科東子本人による原考察の掲載箇所、初出年、および高木彬光の作品中での正確な記載箇所は未確認。
4. 『元朝秘史』関連資料
モンゴル高原におけるテムジンの生い立ちと、チンギス・ハンの称号や漢字音写を検討するための資料。
那珂通世訳注『成吉思汗実録』、1907年。
5. 日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』「成吉思汗」
「成吉思汗」がチンギス・ハンの漢字表記であることを確認するための資料。
※本稿では、静御前の歌と「成吉思汗」の読み解きを紹介する一方、義経本人が漢字を選定したことや、二人が同一人物だったことを確定する資料は確認できていない。