なぜ日本は、連合国家から支配国家へ変わったのか
古代日本は、最初から一人の王がすべてを支配する国ではなかった。
私は、地域ごとの共同体がつながり、必要な時に力を持ち寄る連合国家だったと考えています。
では、なぜそこから支配者が支配する国へ変わっていったのでしょうか。
私は、最初から誰かが「国を支配してやろう」と考えたわけではないと思っています。
始まりは、もっと単純だった。
連合が大きくなったからです。
小さな集落なら、みんなで集まって話せる。
水をどう使うか。
祭りをどうするか。
争いをどう収めるか。
誰に任せるか。
顔の見える範囲なら、それで十分です。
でも地域が増え、人が増え、交易が広がると、すべてを毎回話し合うことは難しくなる。
そこで、連合を代表する人が必要になる。
最初は代表だった。
次に調整役になった。
そのうち、決める人になった。
そして最後には、命令する人になった。
私は、この変化が大きかったと思っています。
もう一つは、役割が世襲されるようになったことです。
本来なら、
水に詳しい人が水を任される。
祭祀のできる人が祭祀を担う。
人をまとめられる人が代表になる。
ところが、その役割が家に固定される。
「この家が代々やる」
となる。
すると、役割だったものが地位になる。
地位は財産になる。
財産になれば、子どもへ残したくなる。
ここから、社会の形が変わります。
必要だから任された人が、偉いから従わせる人へ変わっていく。
さらに外との関係もあります。
大陸には、すでに強い王権や中央集権的な仕組みがありました。
外交をするにも、相手から見れば「誰がこの国の代表なのか」が必要になる。
税を集める。
兵を動かす。
土地を管理する。
法を決める。
こうした仕組みを取り入れるほど、中心の力は強くなっていったはずです。
私は、この流れを
共同体
→ 地域連合
→ 代表
→ 固定された地位
→ 世襲
→ 王権
→ 支配国家
と見ています。
面白いのは、支配国家の始まりも、最初は社会を便利にするためだった可能性があることです。
広い国をまとめる。
争いを減らす。
物資を動かす。
外と交渉する。
そのために中心が必要だった。
でも中心に力が集まり続けると、いつの間にか、
国をまとめるための仕組みが、人を支配する仕組みに変わっていく。
私は、日本の古代国家はそんなふうに変化したのではないかと考えています。
最初にあったのは、支配ではなく協力だった。
だからこそ、その前の日本を考えることには意味がある。
今の国家の形だけを見ていると、そのさらに前にあった
人が役割を持ち寄って生きる社会
が見えなくなってしまうからです。