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敗れた一族を守るため、弓を取った女性。板額御前の知られざる人生【2】

2015.03.03

城氏の運命を変えた、木曾義仲との戦い

ここで、私たちは再び木曾義仲の時代に戻ることになる。

1181年、越後の城氏は、信濃で勢力を拡大していた木曾義仲と戦った。

横田河原の戦いである。

現在の長野県長野市周辺で起こったとされるこの戦いで、城氏の軍勢は義仲軍に敗れた。

城氏は、平氏政権と結びつきの深い勢力だった。

一方、義仲は源氏の一族として、平氏に対抗する立場にあった。

この戦いは、後の源平合戦の流れを考えるうえでも重要な出来事だった。

城氏側を率いていた城資職については、その名や位置づけが史料によって異なる部分がある。

また、当時の城氏の軍勢がどれほどの規模だったのかについても、軍記物語の数字をそのまま受け取ることは難しい。

しかし、城氏が義仲軍との戦いに敗れ、その後の勢力に大きな影響を受けたことは重要である。

ここで一つの不思議なつながりが生まれる。

巴御前が仕えていたと伝えられる木曾義仲。

その義仲の軍勢によって、大きな打撃を受けた越後の城氏。

そして、城氏の一族の女性だった板額御前。

もし巴御前が実在し、義仲軍と行動をともにしていたのであれば、巴と板額は、互いに敵対する勢力の中にいた可能性がある。

二人が直接戦ったという記録はない。

実際に顔を合わせたかどうかも分からない。

しかし、同じ時代の争いの中で、それぞれ異なる立場に置かれていたかもしれないということは、興味深い。

巴御前の物語を追っていた私たちは、その先で、かつて義仲と敵対した一族の女性に出会ったことになる。

歴史は、一人の人物だけを追いかけていても、なかなか全体の姿が見えてこない。

ある人物にとっての勝利は、別の人物にとっての敗北である。

義仲が勢力を広げていく過程では、そのために土地や立場を失った人々もいたはずである。

板額御前の人生を考えるとき、彼女の一族が経験した敗北にも目を向ける必要があるだろう。

平氏が滅びても、戦いは終わらなかった

1185年、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した。

源頼朝を中心とする武士たちが、新しい政治の仕組みを築いていく。

しかし、平氏が滅びたからといって、全国の争いが一斉に終わったわけではなかった。

源氏に味方した武士たちの間でも、所領や権限をめぐる対立が起こる。

平氏に属していた武士たちの中にも、新しい政治体制の中で生き残る道を探す者がいた。

一方で、かつての勢力を失い、不満を抱える者もいた。

城氏も、そのような時代の変化に直面していた。

城氏の一族である城長茂は、平氏側に属していた人物として知られる。

しかし、その後、源頼朝のもとで行われた奥州合戦にも参加している。

かつて敵対していた勢力のもとで、新しい役割を得たのである。

これを単に裏切りと呼ぶことはできないだろう。

当時の武士たちは、変化する政治情勢の中で、自分たちの所領や一族を守るため、さまざまな判断を迫られていた。

戦いに敗れたからといって、一族全員がそこで人生を終えるわけではない。

新しい支配者との関係を築き直すこともあった。

過去の敵と協力することもあった。

しかし、その新しい関係が、いつまでも安定して続くとは限らない。

1200年、鎌倉幕府を支えていた有力御家人、梶原景時が失脚し、一族とともに討たれた。

城長茂は、この梶原景時と関係が深かったとされる。

その翌年、城長茂は京都で幕府に対抗する動きを起こし、命を落とした。

そして、越後では城資盛が挙兵した。

その戦いに、板額御前が加わったのである。

ここで考えたいのは、板額が何のために弓を取ったのかということである。

幕府への反感だったのだろうか。

失われた一族の勢力を取り戻そうとしたのだろうか。

それとも、甥にあたる資盛や、残された一族の人々を守るためだったのだろうか。

それらの事情が重なっていた可能性もある。

しかし、板額自身が何を考えて戦いに加わったのかを伝える言葉は、残されていない。

だからこそ、私たちは一つの理由に決めつけないでおきたい。

ただ、彼女が立っていた鳥坂城には、守ろうとした人々がいたはずである。

それがどのような人々だったのか。

次に、戦いの舞台となった鳥坂城を見ていこう。

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