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戦場を駆けた女性、巴御前。その生涯に隠された謎【1】

2015.02.07

木曾義仲とともに生きた女武者は、なぜ最後の戦場から姿を消したのか。

源平合戦の時代、一人の女性が男たちに交じって戦場を駆けていたという。

その名は、巴御前(ともえごぜん)。

優れた武芸の腕を持ち、荒々しい馬を乗りこなし、強弓を引き、大太刀を振るう。敵がどれほど強くても恐れることなく立ち向かい、木曾義仲(きそよしなか)の軍勢では、一隊を率いるほどの存在だったと伝えられている。

しかし、巴御前という人物を調べ始めると、不思議なことに気づく。

これほど鮮烈な姿で語り継がれている女性でありながら、その生涯を確かめられる記録は驚くほど少ないのである。

いつ生まれ、どのような家庭で育ち、誰から武芸を学んだのか。木曾義仲とはどのような関係にあったのか。そして、義仲が討たれた後、どこへ向かったのか。

どれも、はっきりとは分かっていない。

そもそも巴御前は、実在した女性だったのだろうか。

もし実在したとすれば、なぜこれほど多くの謎を残したのだろう。

私たちは今回、巴御前を単なる勇敢な女武者として紹介するのではなく、彼女が生きたとされる時代、人々の暮らし、木曾義仲との関係、そして各地に残された伝承をたどりながら、一人の人間の姿を探してみたい。

木曾義仲という男

巴御前を考えるうえで、まず知っておきたい人物がいる。

源義仲、通称・木曾義仲である。

義仲は源頼朝や源義経と同じ源氏の一族だったが、その生い立ちは異なっていた。

幼い頃、父の源義賢が一族間の争いで討たれ、義仲は信濃国の木曾へ逃れたと伝えられている。

そこで義仲を養育した人物が、中原兼遠(なかはらのかねとお)だった。

兼遠は信濃の有力者であり、義仲はその庇護のもとで成長していったとされる。

京都の華やかな貴族社会とは異なる、山々に囲まれた木曾の地。

険しい地形、深い谷、急な坂道。そこで生活する人々にとって、馬を扱うことや山野を移動することは、単なる武芸とは違う日常的な技術でもあったはずである。

義仲は、そうした土地で育ちながら、やがて自らの周囲に人々を集めていった。

その仲間には、今井兼平、樋口兼光といった武将たちがいた。

そして、後世の物語では、巴御前もこの人々と深い関係にあったとされている。

巴は中原兼遠の娘であり、今井兼平や樋口兼光とは兄妹だったという伝承がある。

ただし、これらの関係は同時代の確実な記録によって確認できるものではない。

それでも、もし巴がこの集団の中で育っていたとすれば、義仲と巴の関係は、単なる主君と家臣、あるいは男女の関係だけでは説明できないものだったかもしれない。

幼い頃から同じ土地で暮らし、ともに成長し、互いの能力や性格を知っている。

危険なときには助け合い、困難なときには力を合わせる。

血縁だけではなく、生活そのものを共有してきた人間たちの結びつきである。

私たちがこれまでの歴史探訪で考えてきた「運命共同体」という視点から見ても、興味深い関係ではないだろうか。

ただし、それは伝承が事実だった場合に考えられる人間関係であり、確認された歴史として扱うことはできない。

巴御前は、本当に戦場に立っていたのか

巴御前の姿が鮮やかに描かれているのは、『平家物語』である。

なかでも「木曾最期」と呼ばれる場面には、彼女の容姿や武芸についての記述がある。

色白で長い髪を持ち、美しい容貌でありながら、強弓を引き、馬上でも徒歩でも武器を巧みに扱う。

荒馬を乗りこなし、険しい場所を恐れず進み、戦場では大太刀と強弓を持って活躍した。

義仲は彼女を一方の大将として戦わせたという。

ここで少し考えてみたい。

平安時代末期の戦争は、現代の軍隊のように、統一された装備や訓練を受けた兵士だけで構成されていたわけではない。

有力な武士がそれぞれの一族や従者を率い、必要に応じて軍勢を組織していた。

戦場で求められる能力も、単に刀を振るうことだけではなかった。

馬を操る技術。地形を読む力。敵味方の動きを判断する能力。混乱の中で自分や仲間を守る力。

もし巴御前が実際に戦場を駆けていたのであれば、それらの能力を身につけていた可能性がある。

では、女性がそのような技術を身につけることは、当時としてあり得なかったのだろうか。

実は、別の時代の確かな記録には、武装して戦った女性が登場する。

鎌倉時代初期、越後国で戦った板額御前(はんがくごぜん)である。

板額御前は1201年の建仁の乱で戦い、『吾妻鏡』にもその活躍が記されている。

この人物の存在は、武士社会において女性が戦闘に参加することが、まったく考えられない出来事ではなかったことを示している。

しかし、それだけで巴御前の実在を証明することにはならない。

巴御前については、同時代の確実な史料が見つかっておらず、『吾妻鏡』にもその名は確認できない。

私たちは、女性が戦場で活躍することが可能だったという話と、巴御前という個人が実際に戦ったかどうかという問題を、分けて考える必要がある。

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