義経とテムジン、二人の人生が問いかけるもの|時代を越えて人間がたどり着く答え【1】
源義経とテムジン。
日本列島とモンゴル高原。
二人の名前は、まったく異なる歴史の中に登場します。
義経は平家との戦いで活躍し、頼朝との対立によって追われる立場となり、1189年に奥州平泉の衣川で最期を迎えたと伝えられています。
一方、テムジンはモンゴル高原で多くの人々をまとめ、1206年にチンギス・ハンの称号を得ました。
そして、後に広大なモンゴル帝国を築くことになります。
この二人には、古くから同一人物だったという説があります。
義経は衣川で亡くならず、北海道から大陸へ渡り、チンギス・ハンになったという物語です。
私たちはこれまで、この説を手がかりに、二人の出生、家族、仲間、軍事技術、移動経路、そして残された記録を調べてきました。
調べるほどに、異なる部分が見つかりました。
一方で、似ている部分も見えてきました。
そして、考え続けるうちに、もう一つの大きな疑問が生まれました。
なぜ、異なる場所で生きた人間が、これほど似た問題に直面し、似た答えにたどり着くことがあるのでしょうか。
今回は、義経とテムジンの人生をもう一度見つめながら、その疑問を考えてみたいと思います。
テムジンは、父を失った少年だった
テムジンは12世紀半ば、モンゴル高原のオノン川流域に生まれたと伝えられています。
父はイェスゲイ、母はホエルン。
出生年には複数の説があり、正確には定まっていません。
テムジンの少年時代は、決して恵まれたものではありませんでした。
父イェスゲイが亡くなると、それまで協力していた人々の多くが離れ、母と子どもたちは厳しい生活を送ることになります。
野生の植物を採り、川で魚を捕り、食べられるものを探して命をつなぐ。
そのような暮らしが伝えられています。
さらに、家族の中でも争いがありました。
異母兄ベクテルとの対立から、テムジンと弟カサルが兄を殺害したという話まで残されています。
敵対する集団に捕らえられ、自由を奪われたこともありました。
しかし、そのような状況の中でも、テムジンには助けてくれる人々がいました。
逃走を助けたソルカン・シラとその家族。
盗まれた馬を取り戻す際に協力したボオルチュ。
そして、父の代から関係のあった人々。
テムジンは、最初から大勢の仲間に囲まれた指導者ではありませんでした。
人々との関係を失い、また新しい関係を築くことを繰り返しながら成長した人物として描かれています。
私たちは、この生い立ちに、人間の成長を考える重要なものがあると思います。
生まれたときの立場が、その人の一生をすべて決めるわけではありません。
厳しい環境に置かれた人間が、そこで何を考え、誰と出会い、どのように行動するかによって、その後の人生は変わっていきます。
ただし、苦しい経験をした人が必ず優れた指導者になるわけではありません。
テムジンの人生は、その一つの例として考えることができます。
義経にも、幼少期の空白がある
源義経も、幼い頃に大きく生活が変わった人物として伝えられています。
父とされる源義朝は、1159年の平治の乱で敗れ、命を落としました。
義経はその後、鞍馬山で過ごし、やがて奥州平泉へ向かったとされています。
しかし、誰が義経を育てたのか。
どのような人々と生活していたのか。
どこで馬術や武芸を学んだのか。
その詳しい経緯には、分からない部分が数多くあります。
私たちは、義経が大陸の遊牧民・騎馬民族の文化を受け継いだ運命共同体の中で育ったという考えを持っています。
その人々は、単に戦うための集団ではありません。
馬を育てる人。
道具を作る人。
食料を確保する人。
移動する道を知る人。
家族や仲間の生活を支える人。
それぞれが技術や役割を持ち、協力しながら暮らしていたという考えです。
そして、そのような環境の中で、義経もさまざまなことを学んだのではないかと考えています。
この仮説を直接裏づける資料は、まだ十分に見つかっていません。
しかし、義経が後に見せた軍事行動を考えると、一人の天才という説明だけでは捉えきれない部分があります。
一ノ谷で山を越え、屋島で海を渡り、壇ノ浦で水軍と協力する。
それぞれに異なる技術が必要です。
義経自身の判断と同時に、それを実現する人々の存在が重要だったと考えます。
人間は、血筋だけで仲間になるのではない
テムジンには、ジャムカという義兄弟がいました。
二人は若い頃に義兄弟の契りを結び、協力していたと伝えられています。
しかし、成長するにつれて立場や考え方が変わり、やがて対立するようになりました。
また、テムジンは妻ボルテを取り戻すため、父の旧友トオリルやジャムカに協力を求めています。
血のつながりだけではなく、信頼や協力によって人々が結びついていたのです。
一方、義経の周囲にも、多様な人々がいました。
奥州から同行したと伝えられる佐藤兄弟。
弁慶や伊勢三郎などの仲間たち。
各地の武士や水軍。
そして、静御前のように、戦うこととは異なる人生や技術を持つ女性もいました。
義経一行の全員が、同じ土地で生まれ、同じ血筋を持っていたわけではありません。
それぞれの事情や目的を持ちながら、協力関係を築いていたと考えられます。
ここには、テムジンの周囲にいた人々との共通性が見えてきます。
人間は、血縁だけで集団をつくるわけではありません。
自分とは異なる経験を持つ人々と出会い、互いの能力を必要としながら、新しい関係を築いていきます。
ただし、その関係は永遠ではありません。
目的が変われば、対立することもあります。
信頼していた仲間が離れることもあります。
義経と頼朝の関係。
テムジンとジャムカの関係。
それぞれの事情は異なりますが、人々が協力し、やがて対立するという問題には共通するものがあります。