なぜ各地に「弘法大師の水」が残るのか
2014.10.11
空海の伝承を追っていると、不思議なことに気づきます。
井戸。
清水。
池。
温泉。
道。
日本各地に「弘法大師が水を出した」という話が残っています。
文化遺産オンラインでも、弘法井戸や弘法清水の伝説は全国に数多いと紹介されています。
もちろん、空海本人が全国すべての井戸を掘ったとは考えにくい。
では、なぜ空海なのでしょう。
ここで満濃池を見ると、一つ手掛かりがあります。
満濃池そのものは空海以前から存在しましたが、821年、その修築に空海が関わった
ことが伝えられています。
水不足に苦しむ讃岐で、水を確保することは人の生活そのものを支える仕事でした。
つまり空海は、祈るだけの僧ではありませんでした。
少なくとも人々の記憶の中では、
水を確保し、土地を使えるようにする人物
でもあった。
だから私は、各地の弘法水をすべて空海本人の事績として見る必要はないと
思っています。
その土地には以前から、水を探す人がいた。
井戸を掘る人がいた。
水路を造る人がいた。
山の地形を読む人がいた。
そうした名も残らなかった人々の仕事が、後になって空海という大きな名前に
集まっていった可能性もあります。
これは役小角の話とも似ています。
一人の超人の後ろに、多くの山の人がいる。
空海の後ろにも、
土地と水を知る多くの人たちがいたのではないでしょうか。
伝説を消してしまう必要はありません。
むしろ伝説の中に、
その土地で生きた人々の技術や記憶が残っている。
私はそんなふうに見ています。
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