空海は、山の信仰をどう変えたのか【後編】
2014.10.10
役小角より後、空海が現れます。
でも、空海が山の信仰を一から作ったわけではありません。
空海が唐から密教を伝える以前から、日本では密教的な修行が行われていました。奈良国立博物館も、奈良時代にはすでに密教経典や修法が広まり、若い空海自身も山林修行をしていたとしています。
つまり空海は、
すでにあった山の世界へ入ってきた。
山には祈りがあった。
行者がいた。
古い神への信仰もあった。
そこへ空海は、唐で学んだ密教という大きな体系を持ち帰ります。
私はここが面白いと思います。
古い山の信仰を消したのではなく、
その上に、新しい意味を重ねていった。
山そのものを神聖な場所と見る考え。
そこで修行する人々。
仏教。
密教。
それらが少しずつ重なっていく。
大峯の山頂からは、空海以前の古式密教に関わる三鈷杵と、後の空海系統の様式を持つ三鈷杵の両方が見つかっています。
私は、この二つの遺物を見ていると、
「古い信仰が終わって、新しい宗教に入れ替わった」
とは思えません。
むしろ、
古い山の祈りの上へ、新しい宗教が重なった。
そんな姿に見えます。
空海は山を発見した人ではない。
昔から山へ入り、祈り、生きてきた人々の世界に、新しい言葉と形を与えた人だったのかもしれません。
役小角から空海へ。
人は変わっても、
山そのものは、ずっとそこにありました。
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