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要石は、何を守っていたのか【後編】

2014.09.24

鹿島・香取・息栖、そして日高見国へ続く水の道

鹿島神宮と香取神宮には、どちらにも要石があります。

地震を起こす大鯰を地中で押さえていると伝えられる石です。

香取は凸。
鹿島は凹。

しかも香取神宮には、鹿島と香取の大神が大鯰の頭と尾を押さえたという伝承が残っています。

二つの石は、最初から別々に語られているわけではありません。

私は、この二つの石を見ると不思議に思います。

なぜ一つではなかったのでしょう。

地震が怖いだけなら、一つの集落に一つあればいい。

けれど鹿島と香取には、それぞれ要石がある。

そしてその間には、かつて広大な水の世界がありました。

現在は陸地や川、湖、沼に分かれて見えますが、古い時代には霞ヶ浦から印旛沼方面まで、
水によってつながる大きな世界が広がっていました。

現在の霞ヶ浦も、8世紀頃には海水が容易に入り込む、今よりはるかに大きな水域だったと
されています。

この土地は地震がある。

それでも人は去らなかった。

むしろ沿岸には集落ができ、古墳が造られ、人が増えていった。

だったら考え方を逆にした方がいい。

「地震があるのになぜ住んだのか」ではない。

「地震の危険を引き受けても手放したくないほど、何がここにあったのか」

です。

魚がいる。

水がある。

舟を出せる。

物を運べる。

人が来る。

情報も来る。

水際から少し上がれば台地があり、そこに家を構えることもできる。

そして水の道を握れば、遠くの土地ともつながれる。

おそらく、ここで得られるものは地震という危険より大きかった。

だから人々は逃げるのではなく、

大地よ、鎮まってくれ。私たちはここで生きたい。

と願ったのではないでしょうか。

そう考えると、要石は単なる地震除けの石ではなくなります。

この土地を捨てたくなかった人々の願いの石にも見えてきます。

そして地図を広げると、さらに奇妙です。

鹿島神宮、香取神宮、息栖神社。

現在の位置を方位で見ると、

香取から息栖は、ほぼ真東。

息栖から鹿島は、ほぼ真北。

香取から鹿島は、ほぼ北東。

三社は偶然とは思いたくなるほど整った三角形をつくっています。

神栖市観光協会も、この三社が直角二等辺三角形に近い配置になることを紹介しています。

これを「レイライン」と呼ぶ人もいます。

本当に古代人が線を引いたのか。

それは分かりません。

でも、私は「不思議な力が流れる線」より、もっと現実的なものを考えます。

太陽を見れば東西は分かる。

北を知る方法もある。

舟で広い水域を渡る人間なら、方角を読むことは命に関わります。

では三社の位置は、方角、水路、台地、湧水、船着き場などを選んだ結果なのでしょうか。

それとも、初めから互いの位置を意識していたのでしょうか。

息栖神社を見ると、さらに気になります。

祭神には道を守る久那斗神、交通に関わる天鳥船神、海上を守る住吉三神が並びます。

そして神社の前には忍潮井があります。

周囲が海水に覆われていた頃、そこから真水が湧いたという伝承を持つ井戸です。

これほど水と交通に偏った場所を、鹿島・香取と無関係な第三の神社として見る方が
難しくなります。

鹿島。

香取。

息栖。

三つの点。

そして、その西へ水の道を追うと印旛沼へ入る。

そこには今度は、麻賀多神社群があります。

麻賀多神社は一社ではありません。

印旛沼南岸の八千代から成田にかけて十八社があり、中心とされる台方の麻賀多神社と
船形の奥津宮があります。周辺には100基を超える龍角寺古墳群も残っています。

ここまで来ると、神社を一社ずつ見るだけでは何かを取り逃がしているように思います。

鹿島・香取・息栖。

印旛沼。

麻賀多神社群。

古墳。

舟。

水。

それらが一つの大きな生活圏の中に置かれていたのではないか。

そして今度は、その視線を北へ向けてみます。

そこで現れるのが、

日高見国です。

『常陸国風土記』そのものの現存本文では失われていますが、後世に引用された逸文には、
信太郡について、「この地は、もと日高見国なり」とする記録が残ります。

信太郡は霞ヶ浦南部の水の世界に接する土地です。

これは偶然なのでしょうか。

私はまだ答えを決めません。

でも、水の道を追っているだけなのに、

鹿島と香取が現れ、

息栖が現れ、

麻賀多神社群が現れ、

その先に日高見国という名前まで姿を見せる。

だったら、もう少しこの水の上を舟で進んでみたい。

後の時代には鹿島と香取の神は「国を平定する神」として語られました。

けれど、その前から人はここにいました。

暮らしがありました。

墓がありました。

祈りがありました。

そして、おそらく彼らには彼らの世界があった。

だから次に考えたいのは、

鹿島と香取は、最初から東国を支配するための神だったのか。

それとも、

すでに存在していた豊かな水の国を支配するために、後から「平定する神」が置かれたのか。

要石の下に眠っているのは、大鯰だけではないのかもしれません。

そこには、後から書かれた歴史の下に埋もれた、この土地の人々の記憶も眠っているように思います。

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