大和から地図を見るのを、いったんやめてみる
2014.07.20
古代日本の地図を見ると、つい大和を真ん中に置いてしまいます。
そこから西へ吉備、出雲、筑紫。東へ伊勢、尾張、関東、東北。現在の歴史を知っている私たちは、
その後に大和を中心とする国家ができたことを知っているからです。
でも、その結末を知らない人間になってみたらどうでしょう。
九州北部に住む人なら、大陸や朝鮮半島の方が身近だったかもしれません。
瀬戸内海に暮らす人なら、海の向こうの吉備や筑紫との往来が日常だったでしょう。
日本海側なら、出雲や越、その先の北方へ海路が続きます。
東国では太平洋、内海、河川によって別の世界が広がっていました。
その人たちにとって、大和は「日本の中心」ではありません。
交流する相手の一つです。
強い地域の一つ。
時には味方になり、時には警戒する相手だったかもしれない。
そう考えると、古代の列島は一つの国が完成する前の世界として見えてきます。
各地に人が集まる場所があり、有力者がいて、祭祀があり、交易網がある。その間を船が動き、
人が動き、技術が動く。
そして、その複数の中心の一つが、やがて他より大きな政治的影響力を持つようになった。
最初から大和だけが中心だったのではなく、結果として大和を中心とする秩序が残った。
この順番を逆にしないことが大切なのだと思います。
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