鳥見神社と饒速日。印旛に残るもう一つの古い記憶
鳥見神社という名前を見ると、どうしても「鳥見」という言葉が気になります。
鳥見。
登美。
富。
表記は違っても、古代の物語ではどこか見覚えのある響きです。
印西市の鳥見神社では、饒速日尊、その妻の御炊屋姫尊、その子の宇麻志麻治尊を祀る社があります。御炊屋姫尊は記紀の中で登美夜毘売、三炊屋媛、鳥見屋媛などとも記されます。印西市公式サイト
ここは、かなり気になるところです。
饒速日といえば、私たちがこれまで追ってきた長髄彦の話と深くつながります。
大和の登美。
生駒周辺。
そして今度は、東国の印旛に「鳥見」の名を持つ神社群がまとまって存在する。
だからといって、「大和の鳥見と印旛の鳥見は同じ勢力だった」と言うことはできません。
でも、名前も祭神も無関係として片付けるには、少し気になります。
さらに、小林鳥見神社の周辺には、印旛沼西岸でも古い時期に属する古墳や、大規模な古墳群、古代集落跡が確認されています。印西市公式サイト
つまり、ただ後世に神様を勧請した小さな神社が並んでいるだけではありません。
古い人間の生活があった。
有力者の墓がある。
集落がある。
その上に鳥見神社群が残っている。
ここまで重ねると、少なくともこの地域に長く続いた独自の記憶があったことは感じます。
饒速日という名前を、奈良だけに閉じ込めなくてもいいのかもしれません。
神話や祭祀は、人の移動とともに動きます。
人が移れば、神も移る。
婚姻があれば、祭祀も混ざる。
交易があれば、物語も伝わる。
古代の日本列島は、今よりずっと閉じた世界だったように見えて、実際には船と川によって人が動いていました。
鳥見神社群は、その動きのどこかに残った記憶なのかもしれません。