台方と船形。麻賀多神社に二つの中心がある理由
2014.04.08
麻賀多神社を一社だと思って調べると、少し戸惑います。
台方に本宮があり、そこから北側の船形には奥津宮があります。
しかも麻賀多神社はこの二社だけではなく、印旛地域にまとまって分布しています。台方社は近隣の麻賀多十八社の本宮とされています。
これを、単純に「本社と分社」とだけ考えてよいのでしょうか。
台方と船形。
距離はそれほど離れていません。
しかし祭神も由緒も、まったく同じ形ではありません。
それぞれの場所に、それぞれの記憶があります。
そして船形という地名が、どうしても気になります。
文字どおり船との関係から生まれた地名なのか、それとも別の由来なのかは慎重に考える必要があります。
それでも、水域のすぐ近くに「船形」という地名が残っていること自体は面白い。
さらに奥津宮のそばには、印旛国造の伊都許利命の墳墓と伝わる古墳があります。
祭祀の場所。
有力者の墓。
印旛沼。
古い集落。
それらが狭い範囲に集まっています。
もし麻賀多神社が、もともと一人の人物が突然造った一社ではなく、印旛地域の複数の
集落や有力者が共有した祭祀圏だったとしたら、本宮と奥宮という二つの中心が存在
してもそれほど不自然ではありません。
政治の中心。
祭祀の中心。
水運の中心。
墓域。
それらは必ずしも一か所に集まる必要はありません。
現代なら、市役所も港も墓地も神社も別々の場所にあります。
古代も同じだった可能性があります。
「中心」という言葉を一つに決めすぎると、逆にその土地の構造を見失うことがあります。
麻賀多神社群は、一点ではなく地域全体で見る方が、その姿に近づけるのかもしれません。
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