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印旛沼は、昔から「沼」だったわけではない

2014.03.15

現在の印旛沼へ行くと、広い水面の向こうに低い陸地が続いています。

とても静かな風景です。

しかし数千年前、ここは今とはまったく違う景色でした。

印旛沼は、もともと海とつながる大きな入り江の一部でした。

貝塚からはアサリ、ハマグリ、マガキなど海水や汽水を好む貝が見つかっています。これは、このあたりまで海の影響が届いていたことを示しています。i Kouiki

さらに時代が下っても、現在の印旛沼だけが独立して存在していたわけではありません。

霞ヶ浦や北浦、手賀沼などを含む広い水の世界がありました。

この風景を頭に入れてから神社を見ると、位置の意味が変わります。

今なら神社まで車で行きます。

昔なら、船で近くまで来た可能性があります。

あるいは川を上り、入り江へ入り、その先の集落へ向かったかもしれません。

そうすると、神社が「陸上の道の途中にある」のではなく、「水から陸へ上がる場所の近くにある」と見えることがあります。

これはかなり大きな違いです。

古代の移動を道路だけで考えると、神社の配置が不自然に見えることがあります。

でも水面を戻せば、

ここなら船を着けられる。

ここなら台地へ上がれる。

ここなら集落を守れる。

そんな場所が浮かんできます。

古代人が地図を持っていたかどうかは問題ではありません。

人は毎日使う道を身体で覚えます。

どの川を入ればいいか。

どの岬を曲がればいいか。

どこに浅瀬があるか。

どこなら風を避けられるか。

その記憶の先に祭祀の場所があったとすれば、神社はただの宗教施設ではありません。

移動の目印であり、

地域の境界であり、

人が再び集まる場所でもあったでしょう。

現在の印旛沼を見ると静かな湖です。

でも古代の水面を戻せば、ここは東国の人間が行き交う交通の世界だった可能性があります。

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