大丈夫なふりをしなくても、昔は誰かが気づいてくれた
「大丈夫?」
そう聞かれて、
「大丈夫」
と答える。
本当は少ししんどくても。
今は、それが普通になっている気がします。
でも昔の日本では、もう少し人の距離が近かった。
顔色が違う。
今日は口数が少ない。
いつもより帰りが早い。
ご飯を残した。
そんな小さな変化に、誰かが気づいた。
私は、そこに昔の共同体の強さがあったと思っています。
今なら、
「本人が何も言わないなら、そっとしておこう」
となることもある。
もちろん、それも優しさです。
でも昔は、もう半歩だけ近かった。
「何かあった?」
「今日は早く休みな」
「これ、持って帰り」
そんな言葉が自然に出た。
大げさな相談ではない。
深刻な話をしなくてもいい。
ただ、
誰かが自分を見てくれている。
それだけで、人は少し楽になることがあります。
昔の日本では、家族だけが自分を見る人ではなかった。
近所の人。
仕事仲間。
年上の人。
祭りで会う人。
いろいろな人が、少しずつ自分を知っていた。
だから、完全に一人で抱え込む前に、誰かが気づく余地があった。
私は、それがとても大きかったと思っています。
人は、助けを求めるのが上手とは限らない。
しんどい時ほど、
「助けて」
と言えないこともある。
だから昔の共同体では、
言われてから助けるだけではなく、気づいたら声をかける。
そんなお節介が役に立っていた。
今は人との距離を大切にする時代です。
それは必要なことです。
でも、距離を守ることと、無関心になることは違う。
少しだけ見る。
少しだけ気にする。
少しだけ声をかける。
そのくらいなら、今でもできる。
私は、日本人が昔から大切にしてきた優しさは、
何かしてあげることより、変化に気づくこと
だったのかもしれないと思っています。
「大丈夫」と言っていても、本当は大丈夫じゃない日がある。
そんな日に、
誰かが気づいてくれる。
それだけで、少し救われることがあります。