日本人は、なぜ道具に魂を感じたのか
2014.01.05
長く使った包丁。
何度も研いだ鉋。
手になじんだ鋏。
使い込んだ茶碗。
昔の日本人は、こうした道具をただの「物」として見ていなかった。
私は、その感覚がとても日本らしいと思っています。
毎日使う。
手入れする。
壊れたら直す。
長い時間を一緒に過ごす。
そうすると、道具は少しずつその人だけのものになっていく。
新品の時にはなかった傷がつく。
色が変わる。
手の形になじむ。
使う人の癖まで覚えたようになる。
だから昔の人は、道具に対して、
「よく働いてくれた」
という気持ちを持ったのではないでしょうか。
これは単なる迷信ではないと思っています。
道具の向こうには、人の手があるからです。
木を選んだ人。
鉄を打った人。
削った人。
組んだ人。
仕上げた人。
そして、その道具を何年も使ってきた自分自身。
一つの道具には、たくさんの時間が重なっている。
だから簡単には捨てられない。
壊れたら直す。
役目を終えたら感謝する。
針供養や人形供養のような文化が生まれたのも、こうした感覚の延長にあるのだと思います。
日本人は、すべての物が本当に生きていると考えていたわけではない。
でも、
長く付き合ったものには、それだけの重みが宿る。
そう感じていた。
私は、これを「魂」と呼んだのではないかと思っています。
道具を粗末にしない。
作った人を大切にする。
材料を大切にする。
そして、使える間は最後まで使う。
その気持ちが、道具への敬意になった。
昔の日本人にとって、道具は単なる消耗品ではなかった。
一緒に仕事をしてきた相棒だった。
だからこそ、そこに魂のようなものを感じたのだと思います。
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