古代の道は、なぜ真っすぐだったのか――山陰道と杉沢遺跡に残る巨大インフラの痕跡
山の中を歩いていると、不自然なほど真っすぐ続く道に出会うことがあります。もしそれが千年以上前につくられた道だとしたら、景色の見え方は少し変わります。
島根県で発掘された杉沢遺跡には、古代山陰道と考えられる道路の痕跡が残っています。
奈良文化財研究所の全国文化財総覧に公開されている調査報告では、律令国家が都から東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道へとつながる交通網を整え、その道路上に駅伝制を設けていたことが整理されています。
興味深いのは、その造り方です。
古代の官道には、できるだけ直線的につくられた例があります。大分県中津市周辺の古代豊前道でも、丘を切り、低い場所には盛土や堤防をつくりながら直線を目指した道路の姿が紹介されています。
ここで疑問が出てきます。
なぜ、そこまでして真っすぐにしたのでしょう。
自然の地形に沿って曲がった方が、工事は簡単だったはずです。
ところが古代の人々は、わざわざ地形に手を加えています。
土を掘る。
運ぶ。
谷を埋める。
水を逃がす。
路面を整える。
測量する技術も必要だったでしょう。
つまり道路建設もまた、大人数と長い時間を必要とする「ものづくり」だったことになります。
そして道ができれば、人だけではなく物も動きます。
鉄。
須恵器。
木材。
食料。
情報。
技術。
これまで別々に見てきたものが、一本の道の上でつながります。
ただし、ここで注意したいことがあります。
現在見つかっている官道は、古代の交通すべてではありません。
国が整備した大きな道の下には、もっと古くから地域の人々が歩いていた道、川沿いの道、峠を越える道、集落同士をつなぐ小さな道もあったはずです。
もしかすると国家が道路をゼロから生み出したのではなく、それ以前から存在していた人や物の流れを利用しながら、大きな交通網へ組み替えていった場所もあったのではないでしょうか。
地図から消えた古代の道。
それを追っていくと、次に見えてくるのは建物でも王でもありません。
「人は、どこへ行こうとしていたのか」という、もっと大きな謎です。