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竹内街道と古代の道|難波から飛鳥へ何が運ばれたのか

2013.08.09

大阪から奈良へ向かうと、必ず山にぶつかります。

生駒。

金剛。

葛城。

二上山。

今ならトンネルや高速道路があります。

しかし古代にはありません。

それでも人は、大阪湾側と大和盆地を行き来していました。

その手がかりになるのが竹内街道です。

『日本書紀』推古天皇21年、613年の記事には、

「難波より京に至る大道を置く」

とあります。

大阪府は、この「大道」のルートと竹内街道・横大路が重なることから、日本最古の官道と呼ばれていると説明しています。

難波。

河内。

竹内峠。

大和。

そして飛鳥。

地図で追うと、一本の線が見えてきます。

でも、この道を歩いたのは誰だったのでしょう。

役人だけではありません。

大陸から来た使節。

僧侶。

技術者。

物を運ぶ人。

馬を扱う人。

おそらく多くの人が、この道を通ったはずです。

そして運ばれたのは、人だけではありません。

道具。

布。

食料。

金属。

仏教に関わる品々。

新しい技術や知識も、人と一緒に移動します。

ここで一つ気になることがあります。

道は、線を引けば完成するものではありません。

山を越える。

川を渡る。

崩れれば直す。

草木が茂れば整える。

荷物を運ぶ人が休む場所も必要です。

大阪府は、古代道路について、直線性だけでなく、側溝や土木工法、維持管理や補修も重要だったと紹介しています。

つまり古代の道にも、造る人と守る人がいたのです。

王が「道を造れ」と言っただけでは道は残りません。

実際に土を掘った人。

石を置いた人。

水を逃がした人。

補修した人。

そして毎日その道を歩いた人。

そうした無数の仕事があって初めて、難波と飛鳥はつながります。

古代の技術や文化が広がった理由を考えるとき、人だけを追っても答えは出ないのかもしれません。

その人が、どの道を通ったのか。

峠の向こうには何があったのか。

竹内街道を歩けば、今もその答えの一部が地形の中に残っています。

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