物部八十手とは何者だったのか
2013.07.21
『日本書紀』には、崇神天皇7年、大田田根子を大物主大神の祭主とした場面で、
伊香色雄に命じて「物部八十手」が祭神のための物を作ったと記されています。
ここで面白いのは、「祈った」とは書かれていないことです。
「作った」のです。
祭祀には、祈る人だけが必要だったわけではありません。
器を作る人。
金属を加工する人。
木を削る人。
必要な材料を集める人。
それを運ぶ人。
多くの人の仕事がなければ、祭祀そのものが成立しません。
「八十」という数字も、必ずしも80人ちょうどを意味するとは限らず、
多くの人々を表す表現として読むことができます。
だとすれば物部八十手とは、一人の人物ではなく、祭祀に必要な物を
作る多くの人々だったことになります。
後世になると、歴史には王や豪族の名前が残ります。
しかし、実際に社会を支えていたのは名前の残らない人たちです。
物を作る。
直す。
運ぶ。
次の人に技術を教える。
そうした仕事の積み重ねが共同体を支えていた。
物部を考えるとき、巨大な一族だけを見るのではなく、その中にいた無数の作り手
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