伊香色雄は、何を担っていた人物なのか
『日本書紀』の崇神天皇7年の記事に、大田田根子と同じ場面で登場する人物がいます。
物部連の祖とされる、伊香色雄です。
大田田根子が茅渟県陶邑から見いだされ、大物主大神を祀る祭主となることが決まったとき、
伊香色雄もまた祭祀に関わる役目を任されています。
『日本書紀』には、伊香色雄を「神班物者」とすることを占ったところ吉であった、と記されています。
さらに同年11月の記事では、伊香色雄に命じて「物部八十手」が祭神のための物を作ったとあります。
ここで目に留まるのは、伊香色雄が単に有力な豪族として登場しているのではないことです。
神を祀るために必要な物を準備し、それを作る人々を動かす立場として描かれています。
祭祀といっても、祈る人だけでは成り立ちません。
器や道具を作る人がいる。
材料を集める人がいる。
それを運ぶ人がいる。
決められた形に整え、必要な場所へ届ける人もいる。
大田田根子が祭主として祭祀を担い、そのすぐそばで伊香色雄と物部の人々が祭祀に必要な物を準備していた。
『日本書紀』の記述をそのまま読めば、少なくともこの二つの役割が同じ祭祀の中に存在していたことが分かります。
そして後の『日本書紀』には、石上神宮の神宝を物部連が管理したという記述もあります。
物部は、祈りだけを担う人々でも、武力だけを担う人々でもなかったのかもしれません。
物を作る人、扱う人、保管する人、それを祭祀へつなぐ人。
伊香色雄という人物を見ていると、物部とはそうした多くの技術や役割を結びつける集団だったのではないか、
という姿が見えてきます。
古代の社会を支えていたのは、一人の王や一人の祭主だけではありません。
必要なものを実際に作り、準備し、次の人へ渡す。
伊香色雄は、そんな人々をつなぐ側にいた人物だったのではないでしょうか。