古墳の森は何のために残されたのか
古墳の森は何のために残されたのか
古墳を見ると、多くの場合、墳丘の上には木が生えています。
現在の姿だけを見ると、
「古墳だから昔からずっと森だった」
と思ってしまいます。
でも本当にそうだったのでしょうか。
百舌鳥古墳群では、古墳時代に100基を超える古墳が造られ、現在も44基が残っていると堺市が説明しています。古市古墳群でも、大小さまざまな古墳が集中して造られています。
古墳は土を高く盛って作られます。
つまり完成した当初から、現在のような深い森だったとは限りません。
では、長い時間の中で木が生え、その森が残されてきたのはなぜでしょう。
単に使い道がなかったから。
墓だから触らなかったから。
それだけでしょうか。
古代の暮らしから考えてみます。
森には木材があります。
薪があります。
木の実があります。
鳥や小さな動物もいます。
木陰は休憩場所になります。
根は土を押さえます。
雨が降った時には、水が一気に流れ出すのを和らげます。
そして周囲が田畑なら、少し高く木の生えた古墳は遠くからでも見える目印になります。
大阪府柏原市の高尾山周辺でも、現在、森の中に多くの古墳が残っていることが大阪府から紹介されています。
古墳と森が長い時間一緒に存在してきたこと自体は珍しいものではありません。
ここから先は仮説です。
古墳が埋葬の場所として大切にされたことで、むやみに土地を削ったり、完全に開墾したりしにくい場所になった。
その結果、周囲の田畑や集落とは違って、木や草が残りやすくなった可能性があります。
そして森ができれば、今度は森そのものにも価値が生まれます。
薪を得る。
木陰で休む。
水や土を守る。
地域の目印にする。
祖先を祀る。
人が集まる。
墓を守るために残した場所が、長い時間の中で、生きている人たちにも役立つ場所へ変わっていったことはなかったでしょうか。
さらに、そこへ「祖先が眠る場所」「大切な場所」という感覚が加われば、勝手に壊さない理由はさらに強くなります。
後に神聖な森として扱われた場所の中にも、こうした積み重ねがあったかもしれません。
古墳の森を「墓の周りに木が生えただけ」と見るのではなく、
亡くなった人を守る場所と、生きている人の暮らしを支える場所が重なっていったものとして見る。
そうすると、古墳が何百年、何千年と地域の中に残ってきた理由も、少し違って見えてくるのではないでしょうか。