纒向は「王の都」より、人と物が集まる場所として見ると何が見えるのでしょうか
奈良県桜井市の纒向遺跡は、古代日本を考える時によく名前が出る場所です。
そこで誰が支配していたのか。
邪馬台国と関係があるのか。
大和政権の始まりなのか。
こうした議論はとても興味深いものです。
ただ私は、その前にもう一つ見てみたいことがあります。
「なぜ、人がここへ集まったのか」です。
人が大勢集まる場所には理由があります。
水がある。
道がある。
物を運べる。
周囲から来やすい。
食料を確保できる。
そこへ行けば別の地域の人とも出会える。
そして人が集まれば、物も集まります。
土器。
木材。
農産物。
金属製品。
道具。
技術。
情報。
そこで交換が始まれば、さらに人が集まります。
そうして生まれた場所に、後から政治的な力を持つ人が現れることも十分考えられます。
つまり、
「権力者が都を作ったから人が集まった」
という順番だけではなく、
「人や物が集まる重要な場所だったから、そこに政治的な中心も生まれた」
という順番も考えてみる必要があるのではないでしょうか。
これは、古代の社会を見る上で大きな違いです。
最初に王がいて、王が人を集め、町を作ったと考えると、歴史の中心は一人の人物になります。
しかし最初に物流や人の交流があったと考えると、その中心にいるのは多くの人です。
物を運ぶ人。
食料を作る人。
道具を作る人。
遠くからやって来た人。
その土地を昔から知っている人。
そして、それらをまとめる人。
そうした多くの役割が重なって初めて、大きな拠点が成立します。
纒向を「誰の都だったのか」だけで見るのではなく、「なぜここに多くの人や物が集まれたのか」と地形や交通から見ていく。
すると、古代国家の始まりについても違う姿が見えてくるのではないでしょうか。
一人の王がゼロから社会を作ったのではない。
すでに存在していた人の移動、技術、物流、地域同士の交流をまとめる存在として、後に大きな政治的中心が生まれた。
纒向は、その可能性を考えるための非常に面白い場所ではないでしょうか。