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白村江の戦いの謎|なぜ倭国は海を越えて大軍を送り、敗北の後に国家をつくり変えたのか【3】

2014.12.05

白村江では、なぜ倭国の船が敗れたのか

663年、百済復興勢力と倭国の軍勢は、唐・新羅の連合軍と対峙しました。

戦いの舞台となったのは、朝鮮半島西部の白村江と呼ばれた水域です。

『日本書紀』には、倭国の軍船が唐の水軍に攻撃を仕掛けたものの、敗北した様子が記されています。

『旧唐書』にも、唐の水軍が倭国の軍船と戦い、多数の船を焼いたという記述があります。

両国の史書は立場も記述内容も同一ではありませんが、倭国の水軍が大きな敗北を喫したという点は共通しています。

ただし、記録に登場する船の数や戦闘の詳細を、そのまま正確な実数として扱うことはできません。

ここで注目したいのは、白村江の戦いが単純な陸上戦ではなく、水上での戦闘だったという点です。

水上では、兵士一人ひとりの武勇だけでは戦えません。

船の位置、進行方向、速度、船同士の間隔が、戦闘の結果に大きく関わります。

一隻の船が勝手に動けば、ほかの船の進路を妨げる可能性もあります。

逆に、複数の船が適切な位置を保ちながら行動できれば、戦い方の選択肢は広がります。

では、倭国軍はどのような作戦で戦おうとしたのでしょうか。

『日本書紀』の記述には、倭国軍が先を争うように進撃したと読み取れる場面があります。

ただし、この記述だけで当日の指揮系統の実態や、敗北の原因を確定することはできません。

それでも、もし各部隊が十分な連携を取らずに攻撃していたとすれば、船団全体の力を発揮することは難しかったでしょう。

反対に、敵軍の側が水上戦闘の経験や組織的な指揮に優れていたならば、兵力の数だけでは埋められない差が生じた可能性があります。

さらに、潮の流れや水深、風向き、河口付近の地形なども戦闘に影響したと考えられます。

しかし、それぞれが実際にどの程度勝敗を左右したのかは分かっていません。

私たちはここで、白村江の敗戦を一つの技術的な問いとして考えます。

倭国は戦争に必要なものを集めることはできた。しかし、それを戦場という厳しい条件の中で、一つの仕組みとして動かす準備が不足していたのではないか。

もちろん、これは史料によって証明された結論ではありません。

しかし、倭国軍の敗北を、単純な兵士の能力差や船の性能差だけでなく、組織と運用の問題から考えることには意味があるのではないでしょうか。

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