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鹿島・香取の周りに、なぜ大きな墓が集まるのか

2014.03.12

神社の近くに大きな古墳がある。

一つなら偶然かもしれません。

しかし同じ地域に何十基、何百基という古墳が集まり、その中に巨大な前方後円墳まで現れると、少し意味が変わってきます。

鹿島神宮の北側には、大規模な宮中野古墳群があります。

確認されている古墳は百基を超え、中には100メートルを超える大型古墳もあります。

香取側にも、大規模な古墳があります。

つまり鹿島と香取の周辺には、単に人が住んでいたのではなく、大きな墓を築けるほどの力を持った人々がいました。

巨大な古墳を造るには、多くの人手が必要です。

土を運ぶ。

石を運ぶ。

木を切る。

食料を用意する。

作業する人を統率する。

それだけのことができる人物なら、単なる一集落の長とは考えにくいでしょう。

そして古墳は、死んだ人のためだけに造るものでもありません。

「ここを支配したのは誰だったのか」

生きている人へ見せる巨大な印でもあります。

水辺を船で進んでいる人から、大きな墳丘が見えた可能性もあります。

もしそうなら、それは現代のランドマークにも似ています。

「あそこから先は、この人たちの土地だ」

そんなことを、言葉を使わずに示していたのかもしれません。

その近くに祭祀の中心がある。

水運がある。

人が集まる。

後には行政施設も置かれる。

ここまで重ねると、鹿島・香取周辺が古代東国の重要地域だったということ自体は、それほど不思議ではなくなります。

問題は、その世界を何と呼べばいいのかです。

常陸なのか。

香取の海文化圏なのか。

さらに広い東国世界なのか。

あるいは「日高見」という名前と、どこかで重なっていたのか。

そこはまだ決めません。

名前を先に決めると、証拠を名前に合わせてしまうからです。

まず土地を見る。

墓を見る。

水を見る。

人がどこを移動できたのかを見る。

それから最後に名前を考える。

その順番の方が、消えてしまった歴史に近づけるように思います。

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