仏教伝来の謎|なぜ海を越えてきた新しい信仰が、古代日本の政治とものづくりを変えたのか【1】
6世紀の日本列島では、大きな変化が始まろうとしていました。
それまでの古墳時代には、各地の有力者たちが巨大な前方後円墳を築き、その権威を示していました。
大きな石を運び、土を積み上げ、埴輪や石製品を並べる。
そこには多くの人々の労働力と、長い年月をかけて培われた土木技術や加工技術が必要でした。
前回取り上げた筑紫君磐井の岩戸山古墳も、そうした古墳時代のものづくりを伝える重要な遺跡です。
しかし、6世紀の半ば、日本列島に新しい文化が伝えられたことで、人々が作るものにも大きな変化が生まれていきます。
仏教です。
仏教は、古代インドで生まれ、中国大陸や朝鮮半島へと広がっていった宗教です。
その教えは、海を越えて日本列島にも伝えられました。
ただし、日本列島に仏教が伝わったのは、必ずしも一度だけの出来事ではありません。
朝鮮半島や中国大陸との交流に関わる人々の中には、公式な外交記録に残る以前から仏教を知り、信仰していた人々が存在した可能性があります。
それでも、歴史書には、百済の王が倭の王へ仏像や経典を贈った出来事が記されています。
一般に「仏教公伝」と呼ばれる出来事です。
ところが、不思議なことに、その年代は史料によって一致していません。
538年と552年。
わずか14年の違いですが、古代日本の政治や社会を考えるうえでは重要な問題です。
さらに、仏教の受け入れをめぐって、蘇我氏と物部氏などの有力豪族が対立したと伝えられています。
なぜ、新しい信仰が伝わったことによって、政治的な争いが起きたのでしょうか。
単に信じる神や仏が違っていたからなのでしょうか。
それとも、仏教を受け入れることが、王権のあり方や豪族たちの力関係にまで影響する問題だったのでしょうか。
そして、ものづくりの視点から見ると、仏教の伝来には、さらに大きな意味があります。
それまでの日本列島では、巨大な古墳や埴輪、鉄製品、木造建築などが作られてきました。
しかし、仏教が広がると、寺院という新しい建築物が必要になります。
屋根を覆う瓦。
高くそびえる仏塔。
巨大な金銅仏。
仏像を安置する金堂。
建物を彩る絵画や装飾。
それらを作るためには、従来の技術だけでは対応できない工程もあったでしょう。
朝鮮半島からは、僧侶だけでなく、寺院建築や瓦の製作、金属加工、絵画などの技術を持つ人々も渡ってきたと記録されています。
彼らは、単に完成品を持ってきたのではありません。
日本列島の人々とともに、実際の製作や建築に関わり、新しい技術を伝えていったと考えられます。
つまり、仏教の伝来とは、新しい信仰が伝わった出来事であると同時に、技術や知識、人々の交流が大きく変化していく出来事でもあったのです。
今回は、仏教公伝の年代をめぐる謎から、蘇我氏と物部氏の対立、飛鳥寺の建立、仏像や瓦の製作、そして新しい技術を支えた人々の存在まで、6世紀の日本列島に起きた変化を探っていきます。