楠木正成 英雄か、悪党か。時代によって変えられてきた人物像と、人々が守り続けた記憶【4】
一つの争いから生まれた「悪党」という呼称
楠木正成について調べると、「悪党」という言葉に出会うことがあります。
この言葉だけを聞けば、現代の私たちは、悪いことをする人物や集団を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、中世の「悪党」という言葉は、現在の日常語とは同じではありません。
荘園の権益をめぐる争いなどで、既存の支配秩序に従わない人々を指す言葉としても使われていました。
そして、正成に関する史料にも、この言葉が現れます。
『天龍寺文書』に含まれる臨川寺領の目録には、和泉国若松荘をめぐる記述があります。
そこには、楠木正成を「悪党」と呼び、所領への押妨があったとの風聞に言及する部分が残されています。
興味深いのは、その記録が単に正成の悪行を断定した文章ではないことです。
文書には、若松荘の領有をめぐる複数の関係者の動きが記され、正成による押妨があったとの噂を理由として、別の当事者が年貢を収納しているという事情も読み取れます。
つまり、土地の権益をめぐる具体的な争いの中で、正成の名前と「悪党」という呼称が登場しているのです。
ここで考えたいことがあります。
争いの当事者が相手をどのように呼んだか。
そして、その相手が実際にはどのような人物だったのか。
この二つは、同じではありません。
土地をめぐる対立には、双方の言い分があったでしょう。
権利を主張する人々がいて、年貢を納める人々がいて、その土地で生活する人々がいました。
一方の記録に書かれた呼称だけで、正成という人物のすべてを判断できるのでしょうか。
もし現代の私たちが、一つの紛争で相手から非難されたという理由だけで、その人物の人生全体を評価されたとしたら、どう感じるでしょう。
歴史の記録もまた、誰かが、何らかの目的を持って残したものです。
だからこそ、その言葉が使われた背景を考える必要があるのだと思います。
歴史の言葉は、読者の中にどんな人物像を残すのか
歴史を伝える文章には、大きな力があります。
同じ出来事を紹介していても、どのような言葉を選ぶかによって、読者が受け取る印象は変わります。
例えば、楠木正成について考えるとき、河内で大きな影響力を持っていた人物と紹介することができます。
一方、強い印象を与える別の言葉で紹介することもできます。
情報収集に優れていた武将と書くこともできます。
あるいは、現代的な言葉を使って、その活動を説明することもできるでしょう。
「悪党」「河内のドン」「河内モノ」「ゲリラ」「スパイ」「忍者の棟梁」と、否定的な印象を持たせる言葉を
繰り返し重ねているているものがありました。
どちらの場合も、文章を書く人には、その表現を選んだ理由があるはずです。
しかし、読み手は必ずしも、その理由を知っているわけではありません。
特に、まだ歴史を学び始めた子供たちは、文章に書かれた言葉から、最初の人物像をつくっていきます。
そのとき、強い否定的な印象を持つ言葉を繰り返し使えば、実際の行動や歴史的な背景を知る前に、その人物を悪い人間として記憶してしまうかもしれません。
反対に、美しい言葉だけを並べれば、失敗や矛盾のない理想的な人物として受け取るかもしれません。
どちらも、一人の人間を理解するという意味では十分ではないでしょう。
歴史上の人物は、最初から英雄や悪人として生まれたわけではありません。
それぞれの時代に生まれ、家族や仲間と関わり、さまざまな経験を積み重ねて生きていました。
その中で、成功したこともあれば、失敗したこともあったでしょう。
だからこそ、歴史を伝える側には、事実を正確に伝えることだけでなく、読み終えた人にどのような人物像が残るのかを考える責任もあると思います。
難しい歴史用語を使うのであれば、なぜその言葉が使われたのかを説明する。
誰かの評価を紹介するのであれば、誰が、どのような立場からそう評価したのかを考える。
そして、同じ時代に生きた人々については、できる限り同じ視点で見つめる。
その積み重ねによって、読者自身が考えることのできる歴史になるのではないでしょうか。