敗れた一族を守るため、弓を取った女性。板額御前の知られざる人生【5】
敵の本拠地、鎌倉へ
1201年6月。
板額御前は鎌倉へ送られた。
鳥坂城で捕らえられたときの傷は、まだ十分に癒えていなかったという。
それでも、彼女は鎌倉の人々の前に姿を現した。
当時の鎌倉は、源頼朝が築いた武士政権の中心地だった。
頼朝は1199年に亡くなっており、このとき将軍の座にあったのは息子の源頼家である。
頼家はまだ若かった。
幕府の内部では、北条氏をはじめとする有力御家人たちが、それぞれ政治的な影響力を持っていた。
その鎌倉へ、幕府に反旗を翻した一族の女性が連れてこられたのである。
板額は、単なる捕虜ではなかった。
鳥坂城で多くの幕府兵を苦しめた女性として、その名前はすでに知られていたと考えられる。
『吾妻鏡』には、彼女の姿を見ようとした人々や、将軍の前に引き出された際の様子が記されている。
板額は、周囲の人々に対して卑屈な態度を見せなかったとされる。
ここで私たちは、彼女の姿をもう一度考えてみたい。
戦場では弓を持っていた。
しかし、鎌倉では武器を持っていない。
自分が戦う相手を選ぶこともできない。
命をどう扱われるのかも、自分だけでは決められない。
そのような状況で、板額はどのように振る舞ったのだろう。
『吾妻鏡』が描く彼女は、捕虜になっても毅然とした態度を失わない女性だった。
ただし、心の中まで平静だったかどうかは分からない。
恐怖がなかったとは言い切れない。
故郷の人々を心配していたかもしれない。
一族の今後を考えていたかもしれない。
人間は、恐怖を感じないから強いとは限らない。
不安を抱えながらも、目の前の状況に向き合うことがある。
板額の姿に周囲の人々が注目したのは、そのような態度だったのかもしれない。
そして、ここで思いがけない人物が登場する。