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天武天皇と律令国家の謎|なぜ古代日本は、人と土地を把握しなければ国を動かせなかったのか【3】

2014.12.24

戸籍を作ることは、どれほど難しい仕事だったのか

ここで、戸籍の作成を実際の作業として想像してみます。

ある地域に、多くの集落が点在していたとします。

一つの集落には、何十人、何百人という人々が暮らしていたかもしれません。

その人々の名前や家族関係、年齢などを調べる必要があります。

しかし、当時、すべての人々が文字を読み書きできたわけではありません。

記録を作成するには、文字を扱える人が必要です。

さらに、名前の表記をどう統一するのかという問題もあります。

同じ人物が二度記録されることはなかったのでしょうか。

別の地域へ移動した人は、どこに記録されたのでしょうか。

生まれた子供や亡くなった人の情報は、どのように更新されたのでしょうか。

記録を作成した時点では正確でも、時間がたてば人口や家族構成は変わっていきます。

したがって、戸籍を一度作るだけでは、長期的に人々を把握することは難しかったはずです。

ここに、制度を実際に動かすことの難しさがあります。

法律で戸籍を作ると決めることと、全国で同じように戸籍を作成し、維持することは、まったく違う仕事です。

現地へ行って人々を調べる人。

調べた内容を整理する人。

文字を書いて記録を残す人。

記録を運ぶ人。

間違いを確認する人。

そうした多くの仕事が必要だったと考えられます。

具体的にどの地域で誰がどの作業を担当していたのか、7世紀後半の実態をすべて復元することはできません。

しかし、戸籍制度が実際に機能するためには、多くの人々の継続的な作業が必要だったことは想像できます。

ここで、私たちは一つの疑問を持ちます。

古代国家にとって本当に難しかったのは、戸籍という制度を考えることではなく、それを毎年、毎月の社会の変化の中で役立つ情報として維持することだったのではないか。

国家形成の歴史を考えるとき、制度が制定された年だけを見ていては、その仕事の大きさを十分に理解できないように思います。

土地は誰のものだったのか。それよりも先に必要なことがあった

律令国家では、土地の管理も重要な問題になりました。

班田収授という仕組みでは、戸籍などをもとに人々へ口分田を与え、一定の条件のもとで土地を管理することが目指されました。

しかし、ここでも制度を決めるだけでは何も始まりません。

まず、どこに田畑があるのかを知らなければなりません。

土地の面積も調べる必要があります。

川の近くにある田畑と、山の斜面にある田畑では、耕作条件も違います。

水の確保が容易な土地もあれば、干ばつの影響を受けやすい土地もあります。

土地を測ることは、単純に広さを調べるだけの仕事ではなかったはずです。

測量するための道具や、基準となる長さの取り決めも必要になります。

そして、測った土地の情報を記録し、後から確認できるようにしなければなりません。

しかし、ここに大きな問題があります。

土地は、数字だけでは表せません。

同じ面積でも、水の条件や土壌、耕作のしやすさは異なります。

実際に収穫できる量も同じとは限りません。

もし国家が面積だけを見て負担を決めたとすれば、地域や土地の条件によって、人々の負担に差が生じた可能性があります。

では、当時の国家はこうした違いを、どこまで把握していたのでしょうか。

そして、現地で土地を調べた人々は、どのように土地の実情を記録したのでしょうか。

7世紀後半に全国の農地がどの程度測量され、どのような精度で把握されていたのかを、現在の測量のように確かめることはできません。

だからこそ、土地制度の歴史では、法律に書かれた仕組みと、それが現場でどこまで実現していたかを分けて考える必要があります。

私たちは、ここで次のように考えます。

国家が土地を把握するということは、土地の所有や支配を決めるだけではなく、その土地がどれほどの生産を支えられるのかを知ろうとすることでもあったのではないか。

もしそうであれば、土地を測る技術は、国家の経済や人々の暮らしに直結する重要な技術だったことになります。

田畑を測っても、米ができるわけではない

ここで、土地を管理するということについて、もう少し深く考えてみたいと思います。

国家が田畑の面積を把握できたとします。

しかし、その情報だけで収穫量が増えるわけではありません。

農業には、水が必要です。

田畑を耕す道具が必要です。

種をまき、苗を育て、収穫する人々が必要です。

川から水を引くための水路や、水の流れを調整するための施設も必要になります。

つまり、農業の生産力は、土地の面積だけで決まるものではありません。

そこに暮らす人々の技術や経験、自然条件、農具や灌漑施設によっても変わります。

では、国家が人と土地を把握するようになったことで、農業の現場にはどのような変化が起こったのでしょうか。

耕地の管理が進み、生産の安定につながった地域もあったかもしれません。

一方で、税や労働の負担が増えれば、農民たちの暮らしが厳しくなる可能性もあります。

国家の制度が整うことと、そこで暮らす人々が豊かになることは、必ずしも同じではありません。

ここは重要な点だと思います。

国家にとっては、どれほどの税を集められるかが重要だったかもしれません。

しかし、農民にとって重要なのは、家族が暮らしていけるだけの収穫を確保することです。

国家が必要とするものと、地域の人々が必要とするものは、常に一致するとは限りません。

それでも国家は、人々の生産活動を把握しようとしました。

なぜでしょうか。

私たちは、その理由を単なる税の確保だけに限定したくありません。

農業生産を把握することは、国家がどのような事業を行えるかを考えるためにも重要だった可能性があります。

新しい都を造る。

道路を整備する。

防衛施設を築く。

兵士や役人を支える。

そのいずれにも、人と食料が必要です。

しかし、国家が大量の食料や労働力を必要としても、農村の生産力には限界があります。

国家が人と土地を把握しようとした背景には、国家が必要とする仕事の規模と、地域社会が実際に支えられる仕事の規模を結びつける必要があったのではないかという疑問が生まれます。

ただし、把握できることと、適切に負担を配分できることは別です。

その違いが、後の律令国家にとっても大きな課題になったのかもしれません。

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