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夏至の朝、麻賀多から香取を見たら【後半】

2014.09.26

水の道の奥にある神社

として見た方が景色がつながります。

そして麻賀多神社の周辺には古墳群があります。

成田市には5世紀から7世紀に築かれた公津原古墳群があり、少し北へ行けば
龍角寺古墳群という巨大な古墳地帯も広がっています。

つまり、この土地には神社だけがあったのではありません。

人がいた。

集落があった。

有力な人間集団がいた。

そして印旛という水の世界があった。

ここで鹿島・香取・息栖へ戻ります。

三社の中心にあるものも水です。

麻賀多神社群の前にあるものも水です。

神社を点として見ると離れている。

でも水を道として見ると、

印旛から香取へ。
香取から息栖へ。
息栖から鹿島へ。

人間が移動できる世界としてつながってきます。

では、この線は誰がつくったのでしょう。

ヤマト王権でしょうか。

私は、そこをまだ決めたくありません。

なぜなら、鹿島や香取が「国を平定した神」を祀る場所になるより前から、
この土地には人が暮らしていたからです。

ここで、もう一度「日高見国」が出てきます。

常陸の信太郡について、「もと日高見国」とする伝承が後世の引用史料に残っています。

日高見国の範囲を今の県境のように一本の線で囲むことはできません。

でも重要なのは別です。

ヤマトから見れば東に、すでに人々の世界があった。

ということです。

舟を持ち、

土地を知り、

魚を捕り、

田を作り、

太陽を読み、

季節を知っていた人々です。

そこに後から「平定」という言葉が現れる。

私はここで少し立ち止まります。

「東国を平定した」

という言葉は、平定した側の言葉です。

そこに住んでいた人から見れば、

誰かが自分たちの土地へ入ってきた

という話になります。

もし鹿島・香取が、もともと存在した巨大な水上交通圏を押さえる場所
だったとしたら。

もし麻賀多神社群のある印旛まで、その水のネットワークが続いていたとしたら。

さらにその北東に、日高見と呼ばれた人々の世界が広がっていたとしたら。

鹿島と香取の意味は、ずいぶん変わります。

東国へ進むために神社があったのではなく、

東国へ進むために、すでに重要だった場所を押さえる必要があった。

そんな順番だった可能性も出てきます。

そして私は、やはり要石へ戻ってしまいます。

鹿島と香取。

水を挟んだ二つの土地に、地震を鎮める石がある。

麻賀多から香取を見ると、夏至の日が昇る方向とほぼ重なる。

香取から息栖を見ると、春分と秋分の日の出方向とほぼ重なる。

息栖から鹿島を見ると、ほぼ北。

これをすべて偶然と考えることもできます。

でも、すべてを「不思議なレイライン」で説明する必要もありません。

もっと単純なのかもしれません。

昔の人は、私たちよりずっと空を見て、水を見て、土地を見て暮らしていた。

だから、彼らが選んだ大切な場所を現代の地図に戻してみると、そこに線が現れる。

レイラインとは、目に見えない力の線ではなく、その土地を知り尽くした人々の
知恵の跡なのかもしれません。

そして次に調べたい場所があります。

麻賀多神社の「船形」です。

なぜ、本宮とは別に「船形」に奥津宮があるのか。

印旛沼のすぐ近くに残ったこの地名と社。

ここを古い水際まで戻してみると、麻賀多と香取を結ぶ線に、もう一つ別の意味が
出てくるかもしれません。

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