祟り神は、悪霊ではなく「忘れてはいけない人」だったのか
2014.06.10
歴史には、殺された人物が後に祟り神として祀られる例があります。
普通に考えると不思議です。
敵だったのなら、忘れればいい。
処刑したのなら、それで終わりです。
でも、忘れられなかった。
災害が起きる。
疫病が流行る。
不作になる。
「あの人を殺したからではないか」
そう考える人が現れる。
そこから祀る。
神社を建てる。
供物をする。
それが何百年も続く。
祟りは、単なる恐怖ではないのかもしれません。
罪悪感。
尊敬。
後悔。
感謝。
そういう感情が重なったものだった可能性があります。
本当は大切な人物だった。
でも政治的には敵だった。
だから英雄としては残せない。
その代わり、祟る存在としてなら残せる。
そういうこともあったのではないでしょうか。
「祟り神」と聞くと怖いですが、別の角度から見ると、
「この人を忘れたらいけない」
という記憶の形にも見えてきます。
人間は、忘れたくないものを必ずしも美しい物語にして残すとは限りません。
恐怖の形で残すこともある。
そこに、歴史の複雑さがあります。
新着記事
人気記事
カテゴリー
アーカイブ