「墓がある」ことと「そこに眠っている」ことは同じではない
2014.03.08
歴史を追って現地へ行くと、よく「○○の墓」と書かれた場所に出会います。
ここで一度、立ち止まる必要があります。
墓がある。
だから本人が埋葬されている。
とは限りません。
後世につくられた供養塔かもしれない。
伝承を記念して建てた塚かもしれない。
地元の人々が、「この人を忘れたくない」という思いで祀った場所かもしれません。
でも私は、だから価値が低いとは思いません。
むしろ、そこにもう一つの歴史があります。
たとえばアテルイとモレ。
朝廷側の記録では、二人は反抗した勢力の指導者として描かれます。
しかし現在の枚方では、彼らを題材にした演劇も長く行われています。
枚方市の広報でも、アテルイを「故郷を守るため朝廷軍と戦った東北の英雄」と紹介しています。
これは802年当時の評価ではありません。
後世の評価です。
でも、その変化こそ面白い。
「賊」と記録された人物が、千年以上後、処刑されたと伝わる土地で、「故郷を守った人」として語られる。
墓や塚を見るとき、そこに誰が埋まっているかだけではなく、誰が手を合わせ続けたのかを見る。
花はあるか。
酒は置かれているか。
石は新しいか。
掃除されているか。
案内板には何と書いてあるか。
そこには、歴史書には載らない、後世の人間と死者との関係があります。
墓とは、死んだ人の場所であると同時に、生きている人の記憶の場所でもある。
だから現地では、墓石だけを見て帰ってはいけない。
周囲に残る人の気配まで、私は歴史だと思っています。
新着記事
人気記事
カテゴリー
アーカイブ