道具にも魂が宿る。日本人は、なぜ物を粗末にしなかったのか
昔の日本人は、長く使った道具を簡単に捨てませんでした。
包丁。
針。
鉋。
鍬。
茶碗。
人形。
使い続けた物には、ただの道具以上のものを感じていた。
私は、その感覚がとても日本らしいと思っています。
八百万の神という考え方では、山や川、木や岩だけでなく、身近なものにも神聖さを見る。
だから、長く使った道具にも
何かが宿る
と感じた。
それは、本当に人間と同じ魂が入っていると考えたというより、
長い時間と人の思いが積み重なった物には、特別な重みがある
という感覚だったのではないでしょうか。
毎日使う。
手入れする。
壊れたら直す。
また使う。
そうして何年も付き合ううちに、道具は自分の手になじんでいく。
傷もつく。
色も変わる。
でも、その傷まで含めて自分の道具になる。
だから役目を終えた時に、
「今までありがとう」
という気持ちが生まれる。
針供養や人形供養のような文化も、そこから生まれたのだと思います。
物を捨てる前に、感謝する。
壊れたら、まず直せないか考える。
使える部分があれば、別の役割を与える。
私は、日本人が物を大切にした理由は、単なる節約だけではなかったと思っています。
道具の向こうには、
作った人がいる。
材料がある。
使ってきた時間がある。
自分の暮らしの記憶がある。
その全部をひっくるめて、
「この物には何かが宿っている」
と感じた。
それが、日本人の「道具にも魂が宿る」という感覚だったのではないでしょうか。
八百万の神とは、神様がたくさんいるというだけではない。
世界のいろいろなものに、意味や命の気配を感じる考え方。
だから日本人は、物をただの消耗品として扱わなかった。
長く使い、
直し、
感謝して、
最後まで付き合う。
私は、その感覚が日本のものづくりや職人文化にも深くつながっていると思っています。